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2015年11月16日 (月)

『黄金のアデーレ』のイギリスらしさ

11月27日公開のサイモン・カーティス監督『黄金のアデーレ 名画の帰還』を見た。この監督は『マリリン 7日間の恋』がなかなか巧みな作りだったので期待していた。先日東京国際映画祭に来たヘレン・ミレンの演技も見たかったし。

映画を見て、いかにもイギリス映画らしいと思った。舞台はロスとウィーンだが、監督も中心のプロデューサーもイギリス人で、何より今年70歳のヘレン・ミレンの存在自体がイギリスらしい。

伝記映画のうまさもイギリス映画の伝統だろう。マリア・アルトマンという実在の人物を、1998年から始まって2006年までの数年間を軸に、少女時代や新婚当時の記憶をナチスの台頭という歴史的展開を交えて語っている。現在と過去の行き来が何とも巧みで、ヘレン・ミレン演じるマリアがウィーンを歩くうちに、いつの間にかナチスの時代に入り込む。

冒頭からウィーンの部分はきちんとドイツ語で演じさせ、直後にマリアが現在もドイツ語を忘れていないところを見せながら、あえてウィーンではドイツ語は話したくないと言わせるところなどもイギリス的な誠実さだろう。アメリカ映画ならばすべて英語で、その微妙なニュアンスは出ない。

クリムトが伯母を描いた「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像」の返還を求めるために、マリアはいやいやウィーンに行く。若き弁護士のランディの協力で、有利な文書が見つかってゆくサスペンスが心地よい。そこに、ナチスを逃れてアメリカにたどり着く若きマリアと夫の危機一髪の旅が重なってゆく。結局、ウィーンの審問会では絵画返還要求が却下されるが、彼女は「恥を知りなさい」と大臣に言い放って去ってゆく。ここまでが約1時間。

ところが物語はさらに盛り上がる。アメリカでの裁判が可能とわかった弁護士に後押しされる形で、オーストリア政府を相手に、裁判を起こす。そして軽やかなハッピーエンド。孫ほどの年の弁護士との二人三脚も楽しいし、彼らを助けるドイツ人のジャーナリスト(ダニエル・ブリュール)の存在もいい。

正義を求め、言う時ははっきり言うが、諦めのよい凛とした貴族的な女性としてマリアを描くのも英国風か。描き方によっては嫌な女性に見えかねないが、米国での最初の裁判に勝つと「判事は女性に限るわね」と言ったり、オーストリアの代理人に「ディズニーランドを楽しんで」と言ったり、ユーモアたっぷり。彼女がオーストリアを訴えると言うと、「カンガルーを見たい」とオーストラリアと混同するアメリカの役人もおかしい。

109分の映画だが、息つく間もなく終わってしまう。見終わって心に残るのは、ナチスを逃れてアメリカに来たヨーロッパ人たちの複雑な思いだ。映画『ハンナ・アーレント』もそうだったが、必死で逃げてアメリカに同化した彼らは、もはやヨーロッパに戻りたいとは思わない。

ウィーンには一度しか行ったことがないが、ちょうど映画に出てきたあたりを歩いたのでずいぶん懐かしかった。その時同行した上司にその後嫌われて、しばらく後に左遷されたことも思い出した。

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