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2015年11月28日 (土)

『ヴィオレット』のエマニュエル・ドゥヴォス

エマニュエル・ドゥヴォスというフランス女優は不思議な存在だ。遠くから見ると、カトリーヌ・ドヌーヴのようなブロンドをなびかせた華やかなスターに見えるが、近づくと口も鼻も大きく、体もごつい。そのうえ、アルノー・デプレッシャンを始めとする作家性の強い映画で、ちょっと困った女性を演じることが多い。

そんな彼女が遺憾なく持ち味を発揮した映画が、12月19日公開のマルタン・プロヴォ監督『ヴィオレット―ある作家の肖像』。この監督はかつて『セラフィーヌの庭』に完全にはまったので(その時の表記はマルタン・プロヴォスト)、期待して試写を見た。

もともと文学者や哲学者は、画家や音楽家と違って映画になりにくい。ひたすらペンを動かしたりタイプを打ったりする姿は単調で、絵にならないからだ。例えば数年前に『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』という映画があったが、カリカチュアでしかなかった。

まさにそのシモーヌ・ド・ボーヴォワールが大きな役割を果たすのが、『ヴィオレット』。こちらの映画はヴィオレット・ルデュックというエマニュエル・ドュヴォス演じる女性作家が、自らの生と性を赤裸々に描く小説を書いてゆくさまを描く。

ボーヴォワールは、彼女の才能を見い出し、支援してゆく役割だ。映画はヴィオレットが警察から釈放されたところから始まる。夫は彼女を置いて去り、ヴィオレットは小説を書き始めるが、全体の絶望的な雰囲気に暗澹たる気持ちになる。

彼女はボーヴォワ-ルの『招かれた女』を読んで、ボーヴォワールに無理やり会いに行って、自分の小説を渡す。これから先はほとんどストーカーに近い形で彼女を追い回す。それでもボーヴォワールはその才能を認めて、彼女の推薦でガリマール社から『窒息』が出た。

それでも本が売れないことで、ヴィオレットはわめきちらす。それを慰めるのが作家のジャン・ジュネと香水屋の金持ち、ジャック・ゲラン。ヴィオレットはボーヴォワールにも彼らにも愛を求めるが、受け入れられない。

とにかく愛を求め続けるヴィオレットの姿が壮絶だ。そのうえ、『破壊』はガリマール社からエロチックな部分の削除を命じられて病気になってしまう。彼女と対照的にクールで、いつも的確なアドバイスを与えるボーヴォワールの存在が見ていて心地よい。

ようやく終盤でヴィオレットは南仏で暮らして本も売れ始めるが、とにかく怒涛の人生。見終わって、これは『セラフィーヌの庭』と同じだと思った。半分狂った女性芸術家を淡々と描き、どちらも彼女を支援する人が現れて、何とか認められる構造だ。

『セラフィーヌの庭』が主演のヨランド・モローがいなければ存在しえなかったように、この映画はエマニュエル・ドゥヴォスでなければ考えられない。おそらくドゥヴォスの代表作になるのではないか。それほど彼女がヴィオッレットそのものに見える。年末年始に、孤独な魂に触れる秀作。

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