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2015年11月 7日 (土)

『母と暮らせば』の長崎弁

12月12日公開の山田洋次監督『母と暮らせば』を見た。冒頭は実に良かった。白黒の画面で、飛行機の中を写す。「小倉の天気が悪いから長崎へ行く」という内容の英語が聞こえて来る。

長崎も曇っていたが、晴れ間から長崎の街が見える。それから映画は小さな家を写す。学生服を着た少年のような浩二(二宮和也)が家を出るところ。吉永小百合演じる母との掛け合いも楽しい。そして大学の授業が始まり、11時2分、「あーっ」という音と共にインク瓶がぐにゃりとつぶれ、すべてが炸裂する。

ところが見ていると、だんだん違和感が出てきた。私にとって、それは第一に長崎弁に対してだった。私は福岡の生まれ育ちだが、姉の1人が長崎に住んでいるので、長崎弁を聞く機会が多い。これが博多弁、筑後弁(この2つも違うが)とちょっと違う。博多弁なら「しとーと」「しとるんよ」と言うところを長崎弁は「しとるとさ」と言う。あるいは「行かんと」が「行かんばさ」。

最初はその長崎弁を吉永小百合も二宮和也もうまく話していると思った。ところがところどころに「しょうがないよ」とか「そのとおりだけど」とか標準語がポロポロ出てくる。もちろん完全な長崎弁だとわかりにくくなってしまうのだろうが、それにしても「そんとおりやけどさ」と言ってもわかる気もする。

もともと私は山田洋次の映画はどこか苦手だった。作られた庶民像というか、いかにもバカで憎めない庶民がどうもカリカチュアのように見えてしかたがなかった。ところが『隠し剣 鬼の爪』(2004)あたりからだろうか、本気で泣くようになった。前作の『小さいおうち』はリアルでかなり好きだった。

ところが今回は、少し引いてしまった。それは長崎弁のせいだけではなかったように思う。吉永小百合がいかにもふくよかで「こげん痩せてしもうて」と言われるのがピンと来なかったし、それ以上に原爆症で死んでゆく体には見えなかったからかもしれない。

あるいは物語が家の中での母と亡くなった息子との会話が中心で、そこに回想シーンや二宮がタクトを振るシーンなどが挟み込まれるのがしっくり来なかったからか。そしてラストは私はやり過ぎだと思った。

矛盾するようだが、それでも泣いた。84歳の半分ボケた母を持つ身としては、母の息子への愛はこたえた。息子の恋人だった町子(黒木華)が、新しい恋人(浅野忠信)と現れたシーンにも泣いた。だけど、どこか違う。映画とはそんな矛盾のかたまりだ。

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コメント

私も母と暮らせばを観て様々な感情を持ったので、他の方がどのような感想を持ったのか気になり、こちらのブログにたどり着きました。
下らないかとは思いますが、感想を述べさせてください。
私も太宰府出身で、話す言葉は博多、筑後、北九州、佐賀と様々な言葉が混じっております。長崎弁を知っている訳ではありませんが、九州の言葉は総じて語尾に特徴があると感じています。この映画で長崎弁が話されておりますが、本田望結ちゃんの言葉の語尾や二宮和也さんのたまの標準語により、なかなか作品に入り込めず終わったように思います。とはいえ、この作品の中で伝えたいことは伝わっては来ました。ですが、長崎弁や物語の構成の部分で惜しさがあり、ぼんやりとした映画になってしまったように感じました。

投稿: あっきー | 2015年12月28日 (月) 17時07分

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