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2015年11月26日 (木)

転職ノスタルジア

原節子について書こうと思ったが、気持ちがまとまらないので、くだらないノスタルジアを書く。先日ここで「大学は天国だ」と書いたが、これに対して同業者から反発があった。私としては比較の問題、つまり前の仕事に比べたらというつもり。

前職は新聞社で、最後の頃は暇ネタや隙間ネタを追いかける怪しい記者だった。それでも早番も夜勤もあるし、誰かが死ぬと俳優や評論家を追い回すよう命じられた。私よりずいぶん若く頭の悪そうな記者がふんぞり返っていた。その5階のフロアーに流れていた不遜な雰囲気がいやだった。

大学に行ったら、誰も自分をコントロールしないことに驚いた。好きなように教え、思ったことを書くことができた。そのうえ、助手はいて研究室があって、休みは多い。これはパラダイスだと思った次第。

よく考えたら、文化部記者になった時に、これはラクだと思ったことを思い出した。毎日出社の時間は決められておらず、出社しなくてもいい。週に1本記事を出せば、「出し過ぎ」と言われるくらい。こんなラクショウな商売はないと真剣に思った。そんなことをポロリと口に出していたから、嫌われたのだろう。

その前の文化事業部は、机に座ると雑用が湧いて出てきた。5分おきに若者が「これでいいですか」と聞きに来る。電話が鳴る、メールが来る、1時間おきに会議がある。食事の時間もなく、気がつくと夜の10時で、「飲みに行くぞ」と若者を連れ歩く。とにかく映画を見る暇もあまりなかった。

それでも新聞社に転職した頃は、その前の政府系団体に比べたら、楽しくてしょうがなかったことを思い出した。20年余り前のことだ。最近亡くなった部長さんから「やりたい企画をいつでも持って来い」と言われて、本当に涙が出るほど嬉しかった。その前の職場はとにかく役所で、書類ばかり作っていたから。

それでも、今から30年ほど前にその団体に勤めた時は驚いた。「毎日会社に行くだけで、給料がもらえるなんて」と思った。大学院生時代の苦悩がいっぺんに吹っ飛んだ。その頃から比べたら、自分の仕事は少しずつ楽な方向へ向かってきた気がする。

というよりは、いつも新天地がハッピーに見える、能天気な性格かもしれない。新しい環境に身を置くと、それだけで嬉しくなるというか。さて、これからさらに転職するか。でも、もう普通の仕事は無理だろうな。

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コメント

私よりずいぶん若く頭の悪そうな記者がふんぞり返っていた。その5階のフロアーに流れていた不遜な雰囲気がいやだった
⇒これはまったく同感。なんなんだろうね。あの不遜さは。

週に1本記事を出せば、「出し過ぎ」と言われるくらい。こんなラクショウな商売はないと真剣に思った。
⇒これはA社の特殊事情。たぶんどの部もそう。そこがあの会社のいいところ。

投稿: | 2015年11月27日 (金) 01時08分

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