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2015年11月13日 (金)

ガーンとする一言

先日、文字通りの恩師と昼食を共にしていたら、ガーンとするような一言があった。「私は人を選ぶのは、あんまり好きじゃないんで」。これは私が初めて引き受けた、とある賞の審査委員をかつてこの恩師がやっていたと聞いたので、なぜ辞めたか聞いた時の答えだった。

数多くの推薦書を吟味して、その賞にふさわしい人を数人で協議する、そんなことがどうも自分には不似合いに見えたから、1度やった後に次は辞退したという。選ばれる候補はどう見ても選んでいる人間よりも立派な業績のある人たちばかりで、偉そうに選ぶのが滑稽に見えたと。

「それ以前にも文化庁とかいろいろな審査を頼まれましたけど、だいたい断っていました」とも聞いた。この話を聞いて、私の心は凍り付いてしまった。私は大学に移ってから数年たって、少しずつそういう委員や審査の仕事の依頼が来るようになった。

長年会社員をやって黒子のように生きてきたので、会社員時代からあらゆる副業は断らなかった。といっても多くはちょっとした原稿書きで、委員などはなかった。ところが大学に移ってからは、そんな依頼が増えた。「大学」の肩書が、そうした委員に「座りがいい」からだろう。

気がついてみたら、かなりの数になった。そうした場に出てゆくと、著名な学者や監督などがいて、最初は場違いだと思った。ところがいくつもやっていると、だんだん慣れてくる。だんだん自分もそうした「セレブ」の一員かと勘違いし始めた今日この頃であった。

そんな時の恩師の一言は効いた。恐るべきことに、彼の話にはまだ続きがあった。別れ際に「そう言えば、あの賞は誰か委員を推薦してくれと頼まれて、古賀さんの名前を出しましたよ。ほらっ、如才ないし、いろんな人と知り合いだし、明るいし、向いてそうじゃないですか、ハハハ」

すべては、恩師の掌の中で踊っていたのだった。タキシードなぞを着こんで授賞式に出かけて行った自分が、急にアホらしく見えた。もちろん私はその恩師のような立派な学者にはなれないので、私なりにできることをするしかないが、「人を選ぶのは好きじゃない」という恩師の謙虚な一言は今後も胸に刻んでおきたい。

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コメント

今日の文章、大変感銘を受けました。私も映画賞の選考会に出席することがありますが、「お前は神か?」とツッコミたくなる、上から目線の人がいます。あれは醜い。推薦するにしても反対するにしても、対象に敬意を持って謙虚に発言した方が、言葉に重みと説得力が出ますよね。というようなことを、私はいつも気をつけています。いつも気をつけていないと、私自身が、知らないうちに神発言をしたい誘惑にかられますから。そう考えると、神発言というのは極めて人間らしい発言ということになりますか。未熟な発言を神発言というのは、神に失礼ですね。

投稿: 石飛徳樹 | 2015年11月13日 (金) 09時32分

映画賞でもそうですか。確かに「神発言」は人間的ではあります。

投稿: 古賀太 | 2015年11月13日 (金) 10時17分

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