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2015年11月 1日 (日)

30年目の東京国際映画祭:その(8)

昨日、授賞式があった。ほぼ私が評価しない映画と見ていない映画ばかりが賞を取ったが、映画祭の受賞結果というのはそんなものなので、そこはあまり気にならない。『さようなら』が何か賞を取って欲しいという思いはあったけれど。

クロージング上映の篠原哲雄監督『起終点駅 ターミナル』は、何とも凡庸な映画だった。裁判官として釧路に赴任した主人公(佐藤浩市)が、そこでかつての恋人(尾野真千子)と再会し、家族を捨てる。そして過去を封印し、国選弁護人となって釧路に生き続けるが、ある時若い女性(本田翼)と出会う。

そんな話だが、物語を映像で見せずに、説明と雰囲気と音楽で感じさせようとする、いわば文学的な演出に完全に引いてしまった。中年男性の主人公の、過去を後悔しながら生きてゆく感じに共感がないわけではなかったが。一昨日の金曜夕刊各紙ではかなり評価している記者もいたので、好きな人もいるのかもしれない。

それより気になったのは、授賞式に引き続いての上映なのに監督や主演の3人が出てきて、まるで完成披露試写会のように20分もトークがあったこと。これは賞をもらったばかりで喜んでいる受賞者や審査員に対してあまりに失礼だろう。

もちろんこれは、オープニングやクロージング作品の配給元はパーティの費用も負担するという、不可思議な制度があるため。お金を出していただくのだから、そのくらいの宣伝の時間はあげましょうというところだが、これはいくらなんでもみっともない。

薄いお味噌汁のような『起終点駅 ターミナル』を見ながら考えたのは、前日に見たフィリピン映画の『奇跡の女』(1982)の濃厚さだった。これはイシュマエル・ベルナール監督作品で、デジタル・リストア版の上映だったが、私が見たのは25年ほど前だと思う。

1990年頃に、国際交流基金の(旧)アジア文化センターでこの監督とリノ・ブロッカの2人を特集したと思う。私はブロッカよりこちらの監督が好きになって3本ほど見た。

『奇跡の女』は、砂漠の町を舞台に、日食の日に若い女性エルサがお告げを受けて、病人を直し始める話。次第に聖女として祭り上げられて、砂漠の町に大勢の人々が押しかけて、土産物店やキャバレーまでできる。ところが彼女が妊娠したことがわかり、人々は去ってゆく。しかし彼女の宣言と共に、再び人々は集まり出す。

砂漠の中の白日夢のような狂気の伝染が、まるでメキシコ時代のブニュエルのよう。主演のノラ・オーノールが、普通の娘がそのまま聖女になる感じを演じていてすばらしい。口は小さく、左の頬にほくろがあって、目はパッチリ。どこかで見た顔だと思ったら、メンドーサの『汝が子宮』の中年女性だった。フィリピン映画、恐るべしである。

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