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2015年11月20日 (金)

今年は本音の年か

先週の『週刊金曜日』の特集は、「春画と戦争画」だった。この雑誌は何だか一時代古い気がしてめったに読まないが、珍しく買ってみた。この2つをどう結び付けているのか、気になったから。

春画展は12月23日まで永青文庫で開催中で、戦争画は東京国立近代美術館で藤田嗣治の26点が12月13日まで公開で、うち14点が戦争画である。春画展は日本初だし、藤田の戦争画が全点公開されるのも戦後初めてのことだ。

残念ながら『週刊金曜日』には、この2つの「初」を結びつける文章はなかった。紹介文に「ずっとタブーだった。―その性的表現ゆえ、展覧会実施は困難だった「春画」。戦意高揚のため作られ、戦後は忌避されてきた「戦争画」。共に長らく、芸術の本流からは外れた「ゲージツ」だった」とあるのみ。

ここにも書いた通り、春画は明治以降の近代化のなかで禁止された。1990年以降は本も出ているが、観客からの苦情を恐れて美術館では展示されなかった。戦争画は米国に接収された後に「無期限貸与」されたものだが、画家や観客への配慮から少しずつしか展示されなかった。

どちらも法的には問題がないのに、美術館が「配慮」して展示を避けたものだ。それが戦後70年という時期にタガが外れたようにぞろりと出た感じ。美術館もとうとう「配慮」を止めて自由に展示を始めたのではないか。

美術で言えば、東京都現代美術館での会田誠作品撤去要請事件も、「配慮」の産物だった。安倍首相を揶揄するビデオや「文科省へもの申す」文章に、美術館が過剰に反応した。ところが会田誠氏はネットを使って賛同者を集めて居座った。美術作家が自由に表現し、美術館側が折れた。ここでも「配慮」はなくなった。

配慮がないと言えば、安倍首相は「平和国家日本」という長年の国民への配慮を捨てて、自らの信念に邁進している。それに対して反対の者は、勝手に集まって国会前でデモをやる。フランスで長年苦しんだ移民の子供たちはフランスでテロを起こし、大統領はそれに対して正面から「戦争」を宣言する。

みんな正直ベースになった1年ではないのか。ゴダールの『勝手にしやがれ』に、「泥棒は盗み、恋人は愛し合う」といった同義反復的な言葉があるけれど、美術館は自由に展示し、美術作家は本音を表現し、資本家や政治家は自分の利益を追求するという感じか。

これがいいのか悪いのかわからない。美術は歓迎だが、政治はやはり「配慮」や「建前」や「痩せ我慢」が必要な気がする。実は映画においても同じ現象があると思うが、これは後日。

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