映画祭中の読書:『プロパガンダ戦史』
東京国際映画祭中の気分転換として読んでいたのが、池田徳眞著『プロパガンダ戦史』。たしかこれも佐藤優氏の推薦図書だったと思う。
題名は勇ましいが、中身は老人の回想記に近い。1904年生れで(どうでもいいが小津安二郎の1つ下)、第二次世界大戦中に外務省や陸軍参謀本部で各国の短波放送を傍受し、あるいは米英の捕虜を使って対敵謀略放送を指導した人が、各国の戦時のプロパガンダを思い出しながら語る。
ずいぶんソフトな語り口でするする読めるが、読んでいるとだんだん怖くなる、そんな類の本である。彼によれば多くの国は第二次世界大戦の時さえも国内宣伝に力を入れて、対外宣伝に重きを置いていないという。その典型がアメリカらしい。
「アメリカの宣伝は商品の広告から発達したものである。・・・ヤルタ会談が終わってから、アメリカ側は日本に向かって「無条件降伏」の宣伝をさかんにしてきた。私は、これには驚いた。というのは、これは、謀略派から見れば狂気だからである。そして私は考えた。いったい、無条件降伏ということが現代の戦争にあるのだろうか?また無条件降伏などと言えば、敵が降伏しにくくなるのではあるまいか」
大戦末期にこんな冷静な分析をしていた日本人がいたことに驚く。彼はアメリカを「報道派」と名付け、フランスを「平時派」という。フランスは19世紀末から外国へフランス語とフランス文化を宣伝させる組織を作っていて、平時から宣伝をしているからという。ドイツは「論理派」で、「いつも理屈で敵を説き伏せようとする」
彼が一番評価するにはイギリスで、「謀略派」と呼ぶ。
「イギリスの宣伝者は宣伝によって敵国民の戦時の異常心理を鎮静させようとさえする。彼らは、それが宣伝しやすい雰囲気であることをよく知っている。こうしておいてから、相手に毒酒を飲ませる。すなわち、興奮が少し静まったところで、なぜあなたは死ななければならないのでしょうか、だれの利益のために死ぬのですか、あなたはそれを考えたことがありますかと、前線の将兵や国民に質問して、相手の感情をくすぐり、だんだんに反戦的にしてゆくのである」
そうして彼は平時でも各国は謀略宣伝をしているという。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などは、日本たたきのためにあったのに、日本はそれを喜んだ。「最果ての島国に住む日本人は、鎖国的で、鈍感である」
恐らくカンヌやベルリンやベネチアの国際映画祭も平時の謀略宣伝かもしれない。日本がまともな国際映画祭ができないのはその発想がないからだ。あっ、また映画の話になってしまった。
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