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2015年11月15日 (日)

パリのテロに考える

親しい友人には知らせたが、来年の3月から海外研修で6ヶ月パリに行く予定。先週からネットのパリの不動産屋に申込んで、アパート探しを始めていた。この金曜の夜には、30人余りのフランス人やフランスに縁の深い日本人にBCCメールを送り、「いいアパートはないかな」と聞いたところだった。

土曜の朝起きると、いくつか返事が来ていたが、最後の方に来た中に「パリは大変なことになった」「この暗いパリで」と書かれていた。慌てて仏「ルモンド」紙のサイトを見て、「7か所で同時テロ、120人以上が死亡」と知った。

何とも間の悪い時に、能天気なメールを送ったものだ。朝9時くらいになると、フェイスブックでもそのネタが出てきた。これからは日本も標的になると安倍首相を批判する者や、日本のテレビにはほとんどニュースが流れないことを非難する者など、いろいろあった。

9.11以来の衝撃と書く者もいる。いずれにしても、1月にシャルリー・エブド襲撃事件があり、10か月後に100人以上の死者となると、これはもうパリは戒厳令に近い。いや、これから数か月は欧州の大都市はみなそうだろう。今朝のニュースだと、ISによる組織的犯罪というから、これだけでは終わらない。

私個人は、2001年の9.11以降のテロを始めとする事件の多くは、基本的に20世紀に日本も含めた先進国がしてきた植民地政策や侵略行為に対する反撃ではないかと考えている。20世紀前半の植民地支配と後半のグローバル資本主義の浸透が生み出した矛盾が、こういう形で出ているのではないか。

テロではないが、中国や韓国が南京大虐殺や慰安婦問題、あるいは領土問題で今頃になって騒ぐのも、根は同じところにあると思う。これは歴史的に決着済みなどとどんなに論理的に反論しても、たぶん続くだろう。ひょっとすると、今後はテロのようなことだって起こるかもしれない。

この10年から20年は、20世紀の後始末に追われるしかないのではないか。それがうまくいけば世界はあと数十年だけ生きられるし、そうでなければ、そう遠くない時期に自己崩壊するかもしれない。

だからある意味で、世界の終りの始まりを見るのに最もふさわしい場所としてのパリに、3月に行く。「海外研修」と書いたが、具体的に義務があるわけではない。生ぬるい日本から離れて、パリで半年間世界の矛盾をじかに感じられたらと思う。正直なところ、50半ばの外国での一人暮らしはちょっと気が重いけど。

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コメント

このテロのニュースは衝撃でした。おこるより、悲しくなりました。
子供の頃、戦争って人を殺すものでいけないこと。大人は偉いのでそんなものはすぐに終わると思ってました。でも、全く終わらない。悲しい。
パリからの報告楽しみにしています。

投稿: jun | 2015年11月16日 (月) 21時50分

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