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2015年12月21日 (月)

年末は今年も学生映画祭:その(2)

「ニッポン・マイノリティ映画祭」は、券売と映写は劇場、トークの司会などの運営は学生がやるので、私がすることはほぼない。あえて言えば、トークの後にゲストにお礼を言うくらい。だから会場に行った時は、映画を見る。

最近は古い映画を劇場で見ることは少なくなった。ましてプリントで見ることはまれだ。だから今回はその「プリントの味わい」のようなものを感じながら見ている。

小栗康平監督の『泥の河』(1981)は、始まったとたんに、暗いモノクロの世界に閉じ込められる。描かれているのは昭和31年、つまり1956年の大阪で、戦争の影がまだ色濃く残っている。主人公信雄の父親(田村高廣)は満洲帰り。彼は息子の友人・喜一が「ここはお国の何百里、離れて遠き満洲の」と歌い出す時に、呆然となる。

つまり戦争の傷跡を残しながら、喪失感を抱えて生きている。そのうえ、どうも今の妻の前に女がいたようで、その女が危篤というので、会いに行くシーンまである。ここでも過去が蘇る。

信雄は舟に住む喜一と仲良くなるが、その母(加賀まりこ)が怪しい存在であることを「知る」。そして男性を連れ込んでいる場面を「見る」。そして彼らは去ってゆく。信雄がその舟を追いかける時の喪失感といったら。

もともと81年の時点で、56年を白黒で描くこと自体が後ろ向きだ。そのうえ、登場人物たちは失ったものや失いつつあるものを抱えて生きている。だから見ていると、自分の過去を覗いているような、暗澹たる気分になってくる。バブルへ向かう80年代前半の、屈折した思いが伝わってくる。

橋口亮輔監督の『二十才の微熱』(93)は、バブルの余韻が色濃い世の中を背景に、孤独に生きる大学生を描く。ゲイバーで身を売るバイトをしている大学2年生というと、いかにもバブルの雰囲気だが、主人公の島森は男の前でも女の前でも「愛」を前に躊躇している。

そんな優柔不断の主人公を、長回しで撮るから、見ていて何とも気まずい。いたたまれない気分になるが、考えてみたらこれがバブルへの違和感だったなと思い出した。それを驚異的な繊細さで切り取ろうとする橋口監督の演出は、最新作の『恋人たち』にそのまま繋がっている。

年を取ると、どの映画を見ても身につまされる。

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