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2015年12月 2日 (水)

原節子を考える:もう一度だけ

まだ、原節子のことを考えている。昨日電車に乗ったら、駅の売店で『週刊朝日』と『サンデー毎日』を買ってしまった。彼女が表紙になっていたから。どちらも冒頭のグラビア特集が楽しい。

『週刊朝日』の方は、1960年5月の『週刊朝日』別冊の写真が中心。狛江の自宅で撮ったもので、珍しくクールな顔つきのものもある。『サンデー毎日』はいろいろな写真だが、47年に箱根の撮影で旅館で騒いでいる写真とか50年に鎌倉の自宅で編物をしている写真とか、見飽きない。

『週刊朝日』では河谷史夫さんの文章がおもしろかった。元朝日の記者で「素粒子」で何度も物議を醸した人だ。「新聞の社会部で正月特集を考える時、決まって「原節子インタビュー」という案が出る時代があった」という書き出し。そうなのかと思う。たぶん突撃型の社会部記者が各社にいて、引退後の原さんを悩ませたのではないか。

最後に公の場に出たのは、1968年の小津安二郎の共同脚本家、野田高梧の通夜に出た時だったとか、蓼科に小津と野田の記念碑を作る時に、一番に寄付金を送ってきた(原節子ではなく、本名の会田昌江で)とか、知らなかったことも多かった。

『サンデー毎日』には、一緒に暮らしていた甥の熊谷久昭さんの話が詳しく載っていた。「雑誌に撮られるたびに叔母は怒っていた。マスコミに不信感を募らせ、ただでさえ僅かだった外出が一層減ってしまった。足腰が衰えた10年ほど前からは一切家を出なくなりました」「特に経済や政治、国際情勢などのニュースに興味を持っていて、最近ではシリア情勢やイスラム国の問題などに、関心を持っていたようです」

原節子とイスラム国の取り合わせにびっくりした。相当に知的なおばあさんだったのではないか。「自分に才能を感じていなかったようで、昔のことをしゃべることは一切なかったです」とも。

新聞各紙も見たが、雑誌も含めて、評論家などのきちんとした追悼文が少なかったのが残念だ。「朝日」の蓮實重彦さんの文章については触れたが、友人に教えられて読んだ「日経」の佐藤忠男さんの文章も良かった。

黒澤明監督の『わが青春に悔いなし』を見て「16歳だった私は、私の人生でこんなに美しい女性からこんなに冷たく見据えられるようなことにだけはなりたくないと思ったものである」「この映画の彼女の演技にはまるでヒステリックで現実性がないという批評が多かった。・・・そうかなあ、そうかなあと思ってそれらの批評を読んだのが、私が映画批評に関心を持つようになるはじまりだった」

文章はこう終わる。「人気稼業に未練はない、ということであろう。そう言わずに老いることの魅力などもぜひ見せて欲しかった。いまこそそれが必要なのだから」。佐藤さんご自身の人生や人柄も見えてくる名文だった。

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