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2015年12月22日 (火)

イギリス絵画の文学性とデザイン性

学生企画の映画祭のために、毎日渋谷のユーロスペースに通っている。その目と鼻の先の東急文化村のザ・ミュージアムで「英国の夢 ラファエル前派展」のオープニングをやっていたので、出かけた。映画祭特有の静かな熱気がむんむんする劇場と違って、すぐそばなのにこちらは華やかな別世界。

ラファエル前派の展覧会はこの数年よく見るが、今回はリバプール国立美術館所蔵作品からなるという。地方の美術館かと思ったが、全65点で19世紀半ばのラファエロ前派の誕生から20世紀初頭までをきちんと網羅している。

フランスならば印象派の誕生からポスト印象派を経てナビ派やフォーヴィスムに至る時代だが、海を隔てた隣国なのに改めてこうも違うかと愕然とした。一言で言えば、文学性とデザイン性の勝利といったらいいのだろうか。印象派が歴史や文学から遠ざかり、絵画とは何かを追求していた時代に、歴史や神話を取り入れたわかりやすい華麗な絵画を展開していただから。

最初にあるジョン・エヴァレット・ミレイの数点に、まず目が点になった。《いにしえの夢―浅瀬を渡るイサンブラス卿》(1856-57)は老騎士が2人の子供を馬に乗せて湖の浅瀬を走る絵だが、その神話性や自然との融和、計算し尽くした構図など、作り物感たっぷり。

とにかく女性が美しい。有名なダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの、目が大きく鼻筋はくっきり、長いブロンドのちじれた髪をなびかせ、口は小さい女たち。これは日本人が描く西洋美人の理想像の一つだろう。

そのうえ、ヌードも日本人好みの抑えた感じで胸も小さめ。もちろんヴィクトリア朝時代だから歴史や文学のモチーフが多いが、ローレンス・アルマ=タデマの《テピダリウム》(1881)などソファに裸で横たわる裸婦のリアルさにドキリとしてしまう。4人の裸婦が思い思いの姿でソファにくつろぐ《夏の夜》(1890)に至っては、これぞ「お耽美」の世界で思わず笑ってしまう。

あろうことか、20世紀前半までこの文学性がえんえんと続く。同じヨーロッパでもやはり島国というのは独自の文化が育つものだとつくづくと思った。アジアから見た日本もそうなのかもしれない。今日から始まるこの展覧会は、3月6日まで。

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