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2015年12月15日 (火)

30年ぶりの『ミツバチのささやき』

大学で学生と一緒にビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』(73)を見た。ポスト・ヌーヴェルヴァーグの流れを解説するなかでの上映だったが、実は見るのは約30年ぶり。最初に見たのはたぶん1984年秋のパリで、日本での公開が決まったという噂を聞いて、シネマテークでの上映に参加した。

それから帰国後、同じ監督の『エル・スール』(82)を見て、その頃に再度上映された『ミツバチのささやき』を見た。共に今はなきシネ・ヴィヴァン六本木だったと思う。当時は『ミツバチのささやき』の主演の少女、アナ・トレントの可愛らしさがかなりの評判を呼んで、その後数年は彼女が出た映画なら何でも見に行った。

その時は、彼女の住む村に突然現れた負傷兵に、「どうぞ」と青いリンゴを差し出す大きな瞳ばかりが印象に残った。たぶんチラシなどに使っていたかもしれない。それと覚えているのは冒頭の『フランケンシュタイン』の上映会。

最初に「1940年頃のカスティーリャ台地のある村」と出たことさえ覚えていない。従ってこれがスペイン内戦直後が舞台なんて、考えもしなかった。

さらに驚いたのは、アナの家族がみんなバラバラなことだ。母親はたぶんかつての恋人に手紙を書いて一人で投函し、その男から来た手紙(フランスのニースの住所)を一人で焼く。彼女は娘たちと一度も会話をしないし、同じショットにさえ収まっていない。家族との交流が感じられるのは一度だけで、馬車で出かける夫に2階の窓から帽子を投げて寄越すだけ。夫婦のベッドでも彼女は一人で、夫はいつも書斎の机で寝る。

それに比べると、父親は娘ふたりとキノコ狩りに行くので、少しは交流がある。それでもそのシーンは彼が毒キノコをぐしゃりとブーツで踏み潰す場面で終わるからちょっと怖い。後半でアナがいなくなると、犬や仲間を連れて探しに行き、探し出す。その時も母はいない。

一番恐ろしいのは、アナが失踪する直前の朝食。家族4人は同じテーブルについているが、ミディアム・ショットでほぼ正面から写る。同じショットには1人しか映らない。小津の映画じゃあるまいし。そこで父は懐中時計のオルゴールを聞かせて、アナを凍り付かせる。

アナは後半になると言葉を発しない。最後はたぶん脱走兵に向けた「どうぞ」ではないか。それからラストの口を動かさず心の中で発したような「私はアナよ」まで、無言のまま。姉にも死んだふりをされて、何となく裏切られた感じだし。

だから、これからアナの孤独な人生が始まるところで映画は終わる。今風に言うと「心的障害」を負って、生きてゆくのだろう。もちろんそれは内戦後のフランコ政権の始まる1940年頃の心的風景だし、映画が作られたその政権末期の1973年の雰囲気かもしれない。やはり映画は、時間を置いて見るとおもしろい。

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