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2016年1月 6日 (水)

また『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』を見る

今年になって劇場で見た2本目は、去年見た『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』だった。去年公開された『スターウォーズ』も『007』も『ジュラシック・パーク』もどこかピンと来なかったが、この映画だけは続編なのに抜群にすばらしかったから。自宅近くの名画座にかかったので、スクリーンで見るチャンスと思って見に行った。

実は昨年末の和洋合せたベスト5の1本にWEBRONZAで選んでいた。それくらい私の心に刻まれた1本だった。

考えてみたら『マッドマックス』も1979年の1本目を名画座で見たきりで、2本目も3本目も見ていない。そんな私にもおもしろかったのはなぜかと考えてみた。

まず一番大きいのは、世界を支配する男とそれに盲目的に従う庶民たちの国を、さまざまな意味でマイナーな人々が力を合わせて打ち破るという極めて現代的な設定にあるだろう。

1番マイナーなのは、主人公のマックス(トム・ハーディ)。核戦争後に望みもなく生き続けていると、暴力集団に拉致されて囚われの身となる。そこにいるのはシャリーズ・セロン演じるフュリオサ大隊長で、彼女は石油を輸送する目的で出発しながら、王の5人の女たちを逃がそうと企てる。

6人の女にマックスと国王の元盲信者1人が加わって旅は進む。この最初のチームができるまで約30分。そこにフュリオサのかつての故郷の中年女性たちも合流する。まるでグランドホテル形式のように、それぞれの事情を抱えた人々が集まって、だんだんチームが出来あがってゆく感じが実にうまい。

王国は西にあり、フュリオサの故郷は東。つまり、西洋に支配された東洋が反乱を起こす物語でもある。映画はそのマイナーチームが王たちに打ち勝ち、フュリオサは新たな王となる。そしてマックスは去ってゆく。

この映画について「行って帰ってくるだけなのになぜおもしろいのか」と言う言い方がされたけれど、移動する間に敵をなぎ倒して帰還するのは、西部劇の定番でもある。考えてみたらこの映画はセリフが極めて少ない。最初はマックスのナレーションだが、あとは目と目があったり、手や体で指図して物事が決まる。あとはひたすらアクションのみ。

アクションの合間に見える、真昼の黄色い砂漠や真夜中のモノトーンの大地(のみならず人の顔もすべてモノクロ)の美しいこと。とりわけフュリオサが故郷がなくなったと知って一人で泣くシーンには、思わずもらい泣きした。

この映画には、『スターウォーズ』や『ジュラシック・パーク』のような懐古趣味はない。近未来の砂漠をバイクや車でぶっ飛ばし、銃を放つ孤独なマックスという設定以外は、すべてが現代的だ。環境、女性、エネルギー、独裁制、宗教的カルト集団、植民地といったテーマがきちんと盛り込んであるが、映画はそれを語らず、ひたすらアクションで見せる。

最後の最後まで連続するアクションの大音響に包まれる感じは、やはりスクリーンでないと味わえない。ちなみにフュリオサFuriosaという名前はイタリア語やスペイン語で「怒る女」の意味。つまりマッドと対になる女性ということなのだろう。ぜひ次回作では彼女の物語を見てみたい。

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