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2016年1月27日 (水)

たった1点ずつの「フェルメールとレンブラント」展

美術展ではよく「セザンヌ展」といっても、セザンヌ本人の作品は10数点でその周辺の画家が大半ということはある。セザンヌ以上にフェルメールは点数が少ないから、フェルメール展といっても、数点しかないのが当然なのは承知している。それにしても、現在六本木の森アーツセンターで開催中の「フェルメールとレンブラント」展はひどいのではないか。

「フェルメールとレンブラント」展と言いながら、それぞれ1点ずつしかない。私のイメージでは、世界に30数点しかないフェルメールが2、3点で、ずっと点数が多いレンブラントが10点ほどあるかなと思っていた。

もちろん副題に「17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち」とあるが、こちらをメインタイトルにすべきではなかったか。副題で「フェルメールとレンブラントの時代」くらいを付けるべきだろう。

幸いにして、フェルメールの日本初公開という《水差しを持つ女》(1662年頃、ニューヨークのメトロポリタン美術館所蔵)は、傑作だった。窓を少し手で開いた女性が、白いずきんを被って、青いスカートをはいている。赤に青や黄の花を描いた布をはったテーブルには金の水差しがあり、その台には赤や青が反射している。右上には世界地図が掲げられ、その下の留め具も鮮やかな青。

ポルトガルやスペインを追いかけて、大航海時代に乗り出したオランダの市民社会の成熟がこの一枚に感じられる。窓から射すほのかな光が、新世界そのもののよう。右下の箱に結んだ青いリボンひとつにも、その豊かさや余裕が表れている。

この絵が展示されている部屋は、左側に拡大して細かい解説を加えた複製があり、真ん中では4Kの映像で細部まで見せてくれる。右側が本物で一番小さいが、こうすればあまり混雑しない。広い部屋の中を複製と4Kと本物を見比べてうろうろしているうちに、だんだんありがたみが増してくる。

それに比べたら、1点しかないレンブラントの《ベローナ》(1633)にはがっかりした。鎧に覆われて楯を持った女性を描いているが、あまりピンとこない。小学生が母親に「このおばさん、チビで太っているね」と言ったのが聞こえたが、心の底で激しく同意した。レンブラントならば、佐倉の川村記念美術館やブリジストン美術館にあるものの方が、ずっといい。

展覧会自体は、17世紀のオランダ絵画をまんべんなく紹介している質の高いものだと思う。風景画、海洋画、建築画、静物画とセクションごとに区切ってあって実にわかりやすい。プロテスタント教会の中を描いた建築画数点は興味深かったし、ピーテル・デ・ホーホの《女性と召使のいる風景》は、まさにフェルメールの世界を思わせた。

先日見た15世紀後半の聖母子像ばかりの「ボッティチェルリ展」と比べると、近代社会の始まりというか、市民ブルジョアジーの到来をじっくりと味わうことができる。60点の作品はメトロポリタンを始めとして、ロンドンのナショナル・ギャラリーやアムステルダム国立美術館などから集まっている。

要は展覧会名が悪いだけ。おそらく公立の美術館ならばできないだろう。良くも悪しくも、何でもありの森アーツセンターだからできることかもしれない。それにしても、主催のTBSや朝日新聞社はこの「羊頭狗肉」を報道機関として恥ずかしくないのかな。

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