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2016年1月 9日 (土)

年末年始の読書:『若冲』

電車や地下鉄に乗る時は、一駅でも必ず本を読む。いい年のおやじがスマホをいじるのはカッコ悪いから。だから必然的に文庫や新書が多くなる。正月明けに読んだのは、辻惟雄著『若冲』。

分厚い文庫だが、図版が豊富なので文章自体はさほど多くない。もともとは1974年に出た大型本で、それが今回講談社学術文庫に入った。

著者は『奇想の系譜』などで有名な江戸美術の専門家。今はMIHO MUSEUMの館長のせいか、この文庫は開けるとすぐにその美術館所蔵の《象と鯨図屏風》が左右3ページずつを使って織り込まれている。これは昨年サントリー美術館で見た『若冲と蕪村』展に出品されていて、左右合せて7メートルを超す屏風のまさに「奇想」を楽しんだ。

私が若冲でいつもわからなかったのが、極めて写実的でありながら、ときおり奇想天外にはみ出してしまうところ。動物や植物が乗り移ったみたいに、神話的になる。この本を読むと、その寄って立つところがよくわかる。

若冲は、京都の錦市場の青物問屋「枡源」の長男として生まれた。ここは去年行ったが、今でも生鮮食料品店が左右に何百メートルも軒を連ねる商店街だ。見ているだけで楽しい。若冲は「錦小路の市場の毎朝の喧騒の中で育ち、弟に家督を譲ってのちもその近くにアトリエを持っていた」

「本草学の成果の報告会でもある「物産会」が江戸や大坂で開かれるようになったのは、ちょうど若冲が《動物綵絵》制作を始めた時期に相当するが、ある意味では若冲は、それ以前の幼少のときから、錦街での「物産会」に親しんでいたことになる。このようなかれが、当時の画壇の最新の動向に敏感に反応して写生を志すようになったのは、ごく自然の成行きと推察される」

「思うに「物」の外形の冷静的確な再現に終始するためには、若冲の視覚はあまりにも特殊で強烈な自己同化の作用化に置かれていたのだろう。それゆえ、かれが「物」に即して――中国花鳥画自体もその「物」のうちに含まれていた――凝視をこらせばこらすほど、そのかたちは現実を離れ、異様な相貌を帯びてきて、かれを妖しい興奮に駆り立てるのだった。それをつとめて抑え、いわば<醒めた熱狂>の状態に身を置いて、見えて来る「物」を正確に写し取り、幾何学的理性的秩序の中に構成する――これがかれのなすべき事のすべてであったと思われる」

長い引用になったが、若冲の魅力はほぼ言い尽くされているように思う。この本には彼の生涯がきちんと記されているし、明代水墨画から江戸の本草学、そしてオランダ絵画まで吸収した跡が具体的な絵の比較で明瞭に示されている。

文庫だから図版が小さいのが難点だが、カラーが多くて、手に持って時々眺めるだけで、江戸絵画の小宇宙を味わうことができる。これからは若冲の絵を見ると、京都の錦市場を思い出すだろう。

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