パリの缶詰ノスタルジア
土曜日の朝に、「朝日」の赤い「be」を読んでいたら、「作家の口福」というコラムに藤田宜永さんという作家が書いていた。1973年に23歳でパリに着いて、貧乏暮らしを始めた時の話。よくカスレやビーフシチューの缶詰を食べたという文章を読んで、私の脳裏に急にその味が蘇ってきた。
私がパリに行ったのは1984年だから11年後だが、ほとんど食事が同じではないか。カスレは藤田氏が書いているように「おおざっぱに言えばフランス風のポークビーンズ」だが、ソーセージや豚のバラ肉がトマト味で煮てあって、白い豆が入っていた。
84年当時はスーパーで8.5フラン=200円ちょっとだった気がする。ビーフシチューだともっと高くて12フランくらいだったか。シュークルートはカスレと同じくらいだったと思う。スーパーに行くとこうした缶詰が山のように並んでいたが、やはり日本人の買うのはこの3つあたりで、それは10年前の藤田氏も同じだったようだ。
藤田氏はお米もスーパーで買ったと書いている。日本の米に近いのは「丸い米」で、「長い米」はいわゆるタイ米である。「値段は丸い米の方が安かったので助かった」と書いているが、その通り。ただし、「丸い」はrond=「ロン」で、「長い」もlong=「ロン」なので、RとLの発音ができないと注文にも困る。
私は国際学生都市のアメリカ館というところに住んでいた。そこはアメリカ人が半分で後は世界各国の学生が住んでいる大きな寮だった。トイレやシャワーや炊事は共有だったが、私は部屋にこっそりキャンプ用ガス台を持ち込んでいた。
まず、共有の台所のタイマー付き電熱器を使って30分で鍋でご飯を炊いた。一方で部屋の中のガス台に小さな鍋をおいて、カスレの中身をこぼして温めた。ご飯ができると、そのうえにカスレをかけて食べた。これがだいたい学生食堂の閉まっている日曜の昼食や夕食だった。
藤田氏はひき肉を猫と分けたと書いているが、私もひき肉はよく買った。肉屋で「牛のひき肉100g」と言うと、目の前で挽いてくれた。これをオリーブ油で玉ねぎと炒めて塩コショウをすると抜群においしかった。冷たくなったご飯を混ぜるといい感じになった。これは缶詰よりも安かったが、さすがに部屋から調理の音や匂いがするので、あまりやらなかった。藤田氏は書いている。
「豪華な食事はできず、一杯のカフェで何時間も過ごす。そんなぎりぎりの人並みの暮らしが、あの頃の僕の心模様に一番あっていた気がする」。まさに、私もそうだった。
さて、今回はさすがに学生寮というわけにいかないので、アパートを借りた。キッチンも立派なものがある(写真では)。さて、学生食堂に行くわけにもいかないが、毎日いったい何を食べるのだろうか。
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