年末年始の読書:『「昭和天皇実録」を読む』
原武史著『「昭和天皇実録」を読む』を読んだ。本来なら去年から刊行が始まった『実録』そのものを読むべきだが、全19巻はちょっと無理。そこで信頼する原武史氏の解説本をまず読むことにした。
もともと皇室にはくわしくないので、『実録』が出る以前から明らかだったことも私は初めて知ることが多い。とにかく驚きの連続なので、ここではいくつか例を挙げたい。
明治天皇の子供は男子が5人、女子が10人ですべて側室から生まれた。生き残ったのは男子が1人、女子が4人でほかは2歳までに夭折。生き残った男子が大正天皇で、その息子が昭和天皇。ところが当時の習慣で生まれてからすぐに里子に出され、乳人(めのと)は数か月ごとに入れ替わっている。
興味深いのは、その頃に誰と会ったかが『実録』にはすべて記載されているようで、祖父の明治天皇とはあまり会っていない。その分明治天皇の生母で昭和天皇の曾祖母にあたる中山慶子や実際の祖母の柳原愛子といった、いわば側室にはよく会っている。
「それを可能にしていたのが、(裕仁が住んでいた)沼津という、東京から離れた離れていた場所だったこともわかりました。
気になるのは、幼少期の裕仁が、このような宮中の秘密――皇太后や皇后は本当の祖父母や祖母ではなく、本当の祖父母や祖母は別にいること――を知っていたかです。もちろんそこまで『実録』には書かれていませんが、なぜ中山慶子や柳原愛子がこれほど頻繁に訪れてくるのか、子ども心にも疑問に思ったに違いありません。
宮中というのが一夫多妻的な世界なのだということを、いつ知ったのか。裕仁は訪欧ののちに女官制度の改革に乗り出します。その時に一夫多妻的な世界の温床となっている後宮を廃止し、名実ともに一夫一婦制を確立させることに固執するわけです」
引用が長くなったけれど、このように原氏が『実録』にある事実から、その奥に見えるものを推察してゆく手際は見事というほかない。幼少期にはまわりに女性ばかりがいたことが『実録』からわかるが、それをもとに以下の推論をする。
「裕仁という人にはどこか女性的なところがあります。かん高い声や話し方、なで肩や猫背の体型などもそんな印象を受けます。…以前から裕仁の女性性がどこから来たのか気になっていましたが、もしかすると、こういった「女」に囲まれた環境で育ったことが大きく作用しているかもしれません」
ここまではまだ全体の1/5くらいだが、今日はここでおしまい。ちなみに私も女ばかりに囲まれて育ったせいで、「どこか女性的なところ」があるかもしれない。比べてもしょうがないけれど。
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