学生の卒論に驚く
大学で教え始めて、もうすぐ7年になる。最初は教える内容を準備することで精一杯だったが、最近はだんだん学生の4年間の成長を楽しむ余裕ができた。入学して白黒の映画を初めて見て眠ってしまった学生が、いつの間にかフリッツ・ラングやシュトロハイムを滔々と論じるようになる。これを見るのは何とも楽しい。
そんな成長を一番感じるのが、卒論の口頭試問の時だ。多くの学生が、そんなことをどこで勉強したのかというようなレベルの高い内容の論文をいつの間にか書いている。
今回一番驚いたのは、無声映画時代の楽士を研究した論文。明治、大正期の雑誌や新聞という一次資料に当たり、雑誌の投稿欄まで丹念に読み込んで、映画館の楽士たちが西洋音楽の日本への導入に果たした役割がいかに大きかったかを実証していた。
もちろん、私自身にそんな知識はないし、大学全体で考えても学部レベルでそんなことを教える授業はない。そのうえ、大学の図書館のみならず、早稲田の演劇博物館や国会図書館にも通って調べ尽くしていた。
音楽と言えば、島津保次郎の音楽との関係を考察した論文もあった。そもそも現在において、島津保次郎という監督の名前を知っている人ががどれだけいるだろうか。木下恵介や五所平之助、吉村公三郎などの師匠にあたり、戦前の松竹蒲田調や大船調を作り上げたパイオニアだが、DVDもほとんど出ていない。
その島津が音楽に並々ならぬ情熱を抱き、晩年はミュージカル映画の発展に心を砕いていたなんて、映画史のどこにも書いていない。卒論を読んだこちらが本当に勉強をした気分になった。
島津と言えば、その弟子筋の豊田四郎と文芸映画との関係について述べた論文もあった。これまた「文芸映画」を巡って、大正や昭和初期の雑誌を国会図書館で調べ上げていた。
あるいは外国映画でも、ジャン・ヴィゴについてレーモン・ルーセルやアントナン・アルトーまで援用しながら詩的な文章を練り上げた学生や、日本ではほとんど公開されていないジャン・ルーシュについて、海外からDVDを取り寄せたり、大阪の国立民族学博物館まで出かけて見たりして書きあげた学生もいる。
その情熱はどこから来るのかとこちらも驚きながら学生を見ると、そこにはいつの間にか大人の表情があった。我ながら、教えることがこんなにおもしろいとは思わなかった。
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