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2016年2月26日 (金)

夢のあとに

数年前から夜は10時頃には寝て、朝は5時とか6時に起きるから、ずいぶん寝ていることになる。だから朝方は夢ばかり見ている。今でも多いのは、新聞社時代の上司が出てくる夢。

私は森の中にいたが、携帯にT本部長から電話がかかってきた。「奥の資料室に35ミリフィルムが見つかったが、あれは何だ?危機管理上、よくないぞ」「おかしいですね、フィルムセンターに寄贈したはずですが」

新聞社で映画祭をやっていた頃、東京で上映した後に、地方に回すことが多かった。だから35ミリのフィルム缶の入った大きな黄色いビニールの重い物体を、奥の資料室に一時的に置くことがあった。15本もあると相当に場所をふさぐので、みんなから迷惑がられていた。

次に話の内容が変わり、「おまえはフランスやイタリアの大使館の言いなりで、映画祭や展覧会をやっているそうだな」「そんなことはありません」「それぞれ美人女性をおまえの担当にしていると聞いたぞ」

「それは言いがかりです!」と大きな声で言ったとたんに目が覚めた。あの森は、先日行った九州の田舎の家の前の山だった。映画祭のフィルムは、冷静に考えてみたら、フィルムセンターほか、川崎市市民ミュージアム、福岡市総合図書館、イタリア文化会館、東京日仏学院(今のアンスティチュ東京)、ポルトガル大使館などにすべて寄贈したはず。

大使館云々は全く当たっていないわけではない。この2つの大使館には深く入り込んで、彼らの要望をよく聞いていた。あるいはフランスのポンピドゥ・センターやシネマテーク・フランセーズの人々とも友達付き合いだったから、上司が私をスパイのように思っていたのは事実だろう。そのうえ、その2つの国からは勲章までもらったので、上司たちは確実に嫉妬していたはず。

話は変わるが、先日あるパーティで新聞社の前に働いた政府系団体の元上司に会った。すると「みんなに迷惑をかけるダメ職員だったけど、本当に偉くなったねえ」と言われた。そうか、ダメ職員だったのかと今頃になって悟った。当時は一番まじめに働いているつもりだったが、ベクトルが違ったのだろう。

新聞社でも頑張ったつもりだが、事業部で一度も褒められたことがない。だから社長賞とか社賞とかには一切無縁だった。それどころか、課長とか次長とか「長」の付く役職に就いたことさえない。やはりダメ社員だったのだろうか。

ひょっとして、今はダメ教師なのだろうか。自分では頑張っているつもりで。そう考えたら怖くなった。

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コメント

自分の自分に対する評価と、周囲からの評価にズレが起こった時に違和感を生じた経験があるのは小生も同じです。
小生には厳格な叔父さんが居ましたが、自身は叔父に気に入られていると思い込んでいました。
しかし小学生のころ、下校中に叔父の家の前を通りかかった時、叔父は突然下校中の小生の目の前に現れて、小生の腹を蹴り
家に連れ込んで竹刀を振るい、叔父さんから虐待を受けました。
「叔父さんやめちくり」と悲痛に訴えても叔父さんは「痛いのは分かっているんだ!」と言いながら暴力を
止めませんでした。

それ以来、その話を父母にすると、父母が叔父を疎むようになって小生らは別の町へ引っ越し、連絡先も分からない状況です。
自分は叔父と良好な関係を築けていた、と思っていたのに叔父はそうは思っていなかった。
もう何十年も前の話ですが、そのことを思い出すたびに悲しくなります。

投稿: 朴秀 | 2016年3月 8日 (火) 12時06分

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