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2016年2月 4日 (木)

『山河ノスタルジア』の切なさ

4月公開のジャ・ジャンクー監督『山河ノスタルジア』を見た。この監督の映画は、試写状が届くとすぐにでも見たくなる。今回の映画はカンヌのコンペで上映された時、日本の記者や評論家の評判は良かったが、『カイエ・デュ・シネマ』の評価は低かったのが気になっていた。

今回見て、その両方がわかる気がした。つまり、これまでのジャ・ジャンクーとは大きく違ったから。これまで彼の映画は生きることや愛することの切なさを、暴力的なまでの簡潔さや直截さで描いていた。従ってそれは普通の意味でのドラマではなかった。

そのいびつで痛ましい作り方を今回は大きく変えて、わかりやすい構造のメロドラマに仕立てている。1999年の若い男2人と女1人の恋と結婚、2014年のこの3人の生活の変化。そして何と2025年の未来における中年の男女とその子供の人生までも描かれる。

もちろんそのそれぞれは、痛切なエピソードに満ちている。1999年に描かれる汾陽(フェンヤン)は、この監督のファンならば見覚えのある風景だ。あの殺伐とした茫漠たる地方の風景は、『一瞬の夢』(1998)や『プラットホーム』(2000)、『青の稲妻』(02)などで何度も見てきた。

小学校教師のタオ(チャオ・タオ)は労働者のリャンズーと実業家のジンシェンから愛されて、行動力のあるジンシェンを選ぶ。タオが正月に歌ったり、タオの好きな音楽のCDをジンシェンが持って来たり、リャンズーがディスコの外でジンジェンをなぐったり。若さゆえの情熱がほとばしる。

1999年も舞台のほとんどは汾陽。リャンズーは結婚して炭鉱で働いていたが、健康を害して汾陽に戻る。タオはジンジェンと別れて汾陽に戻ってきていた。この2人の再会のシーンには泣いてしまった。そしてタオの父の死と葬儀。そのためにジンジェンとの息子ダオラーも戻ってきた。この母子の会話やしぐさもたまらない。

2025年、舞台はジンジェンとダオラーの住むオーストラリア。父と不仲になった19歳のダオラーは、中国語教師のミア(シルヴィア・チャン)と出会って、母の記憶を探り始める。

正直に言うと第3部で少し違和感があった。そもそもオーストラリアで大半は英語だし、老いたジンジェンはいささかカリカチュアに見えたし、ここで急にシルヴィア・チャンの物語が出てきてもと思った。しかし最後のタオの雪のシーンを見ているうちに、そんなことはどうでもよくなってきた。映画史上に残る切ないシーンだろう。あの音楽と共に。

わかりやすい映画から抽象的な映画へと舵を切ってきたホウ・シャオシェンとは違い、ジャ・ジャンクーは先鋭的な映像から、古典的なメロドラマへと到達した。この2人の中国人の天才は、今後もまだまだ楽しみだ。共に日本のプロデューサーが大きな役割を果たしているのも、誇らしい。

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