« サイモン・フジワラの柔らかな抵抗感 | トップページ | 最終日の「恩地孝四郎展」 »

2016年2月29日 (月)

もう一度『キャロル』を見る

劇場でトッド・ヘインズ監督の『キャロル』を見た。試写で一度見ていたが、予告編を見ているうちにまた見たくなった。再見して、その価値は十分にあったと思った。

最初に見たときに気がつかなかったことがいくつもある。1つはこれが完全に「視線」の映画であるということ。最初はホテルのレストランでテレーズ(ルーニー・マーラー)を見つけた男友達の視線から描かれる。そこにはキャロル(ケイト・ブランシェット)が同席している。

それがテレーズの視線になる。勤める百貨店で、遠くからキャロルを見てハッとする。そしてふたりは近づいてゆくが、田舎娘といった感じのテレーズは落ち着いたキャロルのなすがままについてゆく。

ところがだんだんキャロルの離婚問題がこじれて、視点はキャロルに移ってゆく。ふたりが年末に車に乗って思いつくままに西へ行くあたりで、2人の視点が平等に交差する。そして別れが訪れてキャロルの視点に移っていくかと思っていたら、ラストでそれが見事に「どーん」とぶつかる。いやはや。

最初のシーンから物語が回想に入るにも、2度目に見て気づいた。ラストでそのシーンを別のカットで見ると、心が激しく震えて全く違って見える。さらにおまけのラストシーンが加わっている。つまりAで始まってA'で終わる古典的な映画のパターン。

若いテレーズが映写技師の友人と映写室から見る映画は『サンセット大通り』(50)だったことも、今回の終わりのクレジットで気づいた。つまり舞台は1950~52年頃だろう。

キャロルのブロンドの髪とマフラーやコートの色彩の組み合わせの美しさについては、前に既に触れたと思う。今回はそれがエドワード・ホッパーの絵画のように、それぞれの人物が孤独に配置されているように見えた。つまり人々の視線が交わっていない。そのなかで、2人の女性の視線が強烈な磁場を発する。

今回見てみると、キャロルの落ち着きぶりとテレーズの田舎娘ぶりが際立って見えた。キャロルは百貨店に手袋を忘れたところから、すべて計算して行動していたかのよう。そして終盤は2人の女が男性に頼ることを止めて、独立して生きてゆく感じもよかった。50年代の保守的な社会に対する大いなる反抗の映画とも読める。

テレーズが撮ったキャロルの写真もよかった。暗室で現像をすると、優美なキャロルが浮かび上がってゆく。動きのある瞬間をつかんだ即興のような写真ばかり。

この映画はDVD化されたらぜひ買って、その演出術を細かく分析してみたい。

|

« サイモン・フジワラの柔らかな抵抗感 | トップページ | 最終日の「恩地孝四郎展」 »

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/63278835

この記事へのトラックバック一覧です: もう一度『キャロル』を見る:

« サイモン・フジワラの柔らかな抵抗感 | トップページ | 最終日の「恩地孝四郎展」 »