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2016年2月17日 (水)

1968年のカンボジア映画を見る

「恵比寿映像祭」の一環で上映された『12人姉妹』(1968)を見た。カンボジアのリー・ブン・イムという監督の映画で、1970年から始まった内戦を生き延びた数少ない1本という。本当は別の映画を映画館に見に行こうと思ったが、朝のぞいたフェイスブックでこの映画のことを知った。

手元にあったチラシを見ると「ジョルジュ・メリエスを意識した特殊効果と、カンボジアの神話が融合したファンタジー映画」と書かれていて、急に見たくなった。実際に見てみると、この表現は言い過ぎだと思ったが、興味深かった。

メリエスらしさと言えば、巨人の鬼女を合成で見せていたり、主人公のプティサエンが馬で空を飛んだりという場面がそうだけれど、それはどちらかと言えば子供向けのテレビ番組に近い。ヴェルナー・シュレーターやストローブ=ユイレのようにメリエスをポストモダンから捉えた正面性などはない。

というより、映画全体がおおらかな大衆性に満ちている。イーストマンカラーのド派手な色彩で王朝の金銀や赤、青、黄の衣装や宝石が輝く。出てくるのは鬼女を除くと多くは宮廷の美男美女。カットの切り替えしはほとんどなく、カメラは移動とアップを繰り返す。

物語は以下の通り。12人の若い孤児の美人姉妹たちがアンタパ国の王子に気に入られて、妃となる。ところが13人目に来て第一王妃となった女は実は鬼女で、王子をたぶらかして12人の女たちの両目をくり抜く(ここはかなりグロい)。片目だけ助かった末の娘に息子のプティサエンが生まれて、青年になるといつのまにか王子の家来になる。

プティサエンは、鬼女のたくらみで彼女の娘コンライが支配するタラクン国に送られて殺されそうになる。しかし鬼女を嫌うある男の作戦でコンライはプティサエンを好きになり、結婚してしまう。

プティサエンは母たちの目玉を見つけ出す。コンライを置いて、アンタパ国に戻って鬼女を征伐し、母たちに目玉を復活させる。あわててタラクン国に戻るが、コンライは捨てられたと失望して自殺していた。

2つの豪華な宮廷が舞台のほとんどで、それ以外は両目を失った女たちが住む暗い洞窟が描かれる。つまり派手な夢の世界と洞窟や鬼女の暗い世界が対比され、最後は暗い世界が消滅して平和が訪れるという能天気な物語。国を支配して13人も嫁にして豪奢な生活をし、鬼女に騙される間抜けな王子への批判などはない。そして王子の息子も王子になるという血縁が温存される。

瞳を失った12人の女たちが生きていくために、小さな息子がなんとかしてご飯をもらってくるという設定がおもしろい。やはりアジアはお米である。息子がタラクンに行く時は、母たちに干し飯を置いてゆくし。その一方で王朝ではやたらにバナナを食べている。

私が小学生の頃、フィリピンのバナナは高級品だったなどとまたノスタルジアにふけってしまった。そういえば、この作品はカンボジア語の作品だが、見たのはタイ語吹き替え版で、フランスで発見されたという。18日18:30にも上映あり。

その前に「恵比寿映像祭」の展示作品もざっと見たが、見るべきものはなかった。東京都はこのイベントに1億円をかけているというが、都民としては納得がいかない。やけに凝った10面オールカラーのチラシや会場にある80ページを超す分厚い無料のパンフのほか、異様に多い案内や監視員も気になる。カンボジア映画は良かったけれど。

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