パリの生活が始まった:その(3)失われた1日
エールフランスに抗議した返事は来ないので、「失われた1日」について書きたい。ほぼ2週間かけて何を持ってゆくか考えた末に詰めた2個のスーツケースなしでアパートに着いた時、不条理な感覚に襲われた。あれだけ検討して選んだのに、エールフランスのストですべてが水の泡になった感じ。
手荷物で持ってきたのは、パソコンとスマホとキンドルと歯ブラシと髭剃り。最初はこれでどうにかなると思った。パソコンとスマホのコードも持ってきていたから。エールフランスの紛失物申請は、ネットでするように言われたので、ネットにアクセスできないと話にならない。
ところがフランス用の変換プラグはスーツケースの中だった。行く前に4つ買って、全部で5つ持って行ったのに。つまりパソコンもスマホも充電できない。そうなると、スーツケースが数日入手できないことも考えて、必要最低限に使おうと考えた。
スマホでは、ラインはせず、メールのチェックのみ。必要な返事は打つのに短時間でできるパソコンから。ブログの更新はどうしようかと考えたが、毎日約千人の読者も考えて、当面続けることにした。それにエールフランスによって引き起こされたこの災難を書く必要がある。
原則電話もしない。それでも電話したのは、エールフランスの空港の紛失係。これは全く話にならなかったが、空港で直接交渉しないとダメだとわかったので、結果的には良かった。
時差ボケもあってほとんど眠れなかったが、翌朝シャワーを浴びて7時過ぎにまずパンを買いに行った。コーヒー豆は、前の住人が残しておいた封を開けていない一袋があって助かった。前日の夜18時頃に空港を出たので、さすがに早朝のスーツケースの配達はないと考えて、朝8時半に開く近所のスーパーに開店と同時に行った。
とりあえず2日分ほどの食料を買った。牛肉、羊肉、卵、玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、果物数種に加えて、ワインと牛乳と水。これで3000円ほどとは安い。
髭剃りを手持ちで持ってきたのは良かった。私は髭が濃いので、毎朝髭を剃らないと落ち着かない。ローションと歯磨きは飛行機でもらったキットにあった。石鹸とシャンプーは前の住人が残したものを使った。これでどうにか「最低限度の文化的生活」はできそう。
それから丸一日、アパートにいた。ネットも見ないと考えるとすることがない。ひたすらキンドルでプルーストの『失われし時を求めて』を読んだ。厚い文庫で全8冊だが、半分以上読んで、完全に20世紀初頭のフランス貴族世界にトリップした。
もしスーツケースが紛失したら、このまま生活できるのだろうか。これからすべてをフランスで揃えると考えたら、眩暈に襲われた。スマホとパソコンの電源次第でデジタル社会から隔絶される恐怖もあったし、プルーストの世界も混じって、夢のような一日だった。この日のことは忘れないだろう。
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コメント
アメリカに行ったとき、パソコンのACアダプターを忘れたことがある。成田の待合室でパソコン出していじっていて気が付いた。電池だとパソコンは2時間くらいしか持たない。すぐ使うのやめた。成田のショップを少し回ったが、ACアダプターなどない。
仕方がないので、アメリカにいって、ホテルにチェックインしたときに、ACアダプターを買いたいといった。そしたら、「バ-バイ」に行けばいいといわれ、わからないので紙に書いてもらったら、「BEST BUY」。部屋に入った後ですぐにタクシーでベストバイにいった。ACアダプターがほしいといって、これといわれたのが、先っぽが何種類もあって、それを入れ替えることでいろんなメーカーのパソコンに充電できるやつだった。100ドル以上した。タクシー往復で50ドル以上。パソコンは、エーサーのネットブックで、3万ちょっとだったのに。でも、このACアダプター使えた。なんとなく、損した気はしたが。
投稿: jun | 2016年3月27日 (日) 21時17分