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2016年3月29日 (火)

ピカソ美術館再訪

パリに着いて最初に行ったのは、ピカソ美術館。ここは昨年の10月に再オープンするまで、長い間改装のために閉じていた。もともとは、ピカソの遺族が遺産相続税の代わりに国に収めた現物を中心に、1985年にできた。それから20年以上たって、建物が老朽化していた。

美術館が閉鎖されたのは2007年頃だろうか。それから所蔵品は日本を含む世界を巡回し、2012年頃に再オープンする予定だったが計画は遅れに遅れて、昨年になったようだ。

こんなに詳しいのは、2008年に国立新美術館とサントリー美術館の両方で開催されたピカソ美術館展の発端に関わったから。2005年の7月の暑い日。新聞社の上司を連れて、旧知の学芸員のBさんを訪ねた。すると彼女は「私は秋に館長になるので、日本と仕事をしたい」と切り出した。

美術館は20年たって老朽化したので改装を予定しているが、文化省はあまり予算がない。そこで海外に作品を貸し出して、借用料を修復費に当てたいが、日本で巡回はできないかという話。

結果として、オーストラリアとアブダビの後に日本に巡回した。日本が出した億単位の借用料についてはここには書けないが、展覧会の集客を考えると高すぎたかもしれない。私は実現する頃は異動で記者職に移っていたのでわからないが、それなりの赤字になったはずで、後ろめたい気分が今でも残っている。

そのうえ館長になったBさんは、2014年に解任された。理由はわからないが、短気で自分中心の彼女のやり方が館内の賛同を得られなかったのだろうことは想像できる。彼女は世界巡回で50億円近くの改修費を作り出した立役者だが、再オープンの館長にはなれなかった。そのあたりはフランスのネットで読んでいたが。

その後どうなったのかわからないが、2014年秋に仮オープンし、1年後に本格オープンした。行ってみて一番驚いたのは展示面積が抜群に広くなっていたこと。以前は1Fから3Fまでが展示室だったが、かつて館長室を初めとしてオフィスだった5Fも展示室になっている。

さらに地下の収蔵庫も展示室になっていて、ここではミケル・バルセロというピカソの影響の濃い現代作家の個展を開催していた。ところどころにピカソの作品があるのもいい。地下には講堂もある。2Fのテラスを使ったレストランもある。

1Fから2Fまでは「彫刻家ピカソ」という企画展で、立体的表現を重用したピカソの特色を見せた興味深い展覧会。3Fと5Fはピカソの名品展。全体としてかつてに比べて2倍を超える展示面積で、見ごたえ十分。

さてBさんはどうなったのか。友人から携帯番号を聞いて電話してみたが留守電で、メッセージを残したが今のところ返事はない。もう昔の話はしたくないのだろうか。

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