パリに着いても日本の話:その(1)『京都ぎらい』
飛行機で読んだのは、井上章一『京都ぎらい』。これならラクに読めると思ったから。正直に言うと、前半はめっぽうおかしかったが、後半はがっかりした。本としては同じ著者の『霊柩車の誕生』や『美人論』の方が何倍もおもしろい。
一番すごいのは、京都の下京区で三百年続く町屋の杉本家を訪ねた時の話。九代目当主の杉本秀太郎は仏文学者でエッセーでも有名だが、大学生だった著者が建築学のゼミの一環で訪ねると、「君、どこの子や」
「嵯峨からきました」と答えると、杉本氏は「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや」。ちなみに「肥」とはかつて農業に使っていた糞便をさす。私が小さい頃はまだあった。
「「うちへよ肥をくみにきてくれた」。この言い方は、いちおう感謝の気持ちもこめたかのように、くみたてられている。「きてくれた」という以上、表面的にはそううけとらざるをえない。
だが、そこに揶揄的なふくみのあることは、いやおうなく聞きとれた。嵯峨の子か、田舎の子なんやなと、そう念を押す物言いであったことは、うたがえない。私ははじめて出会った洛中でくらす名家の当主からいけずをいわれたのである」
この本のおもしろさはこの部分に尽きている。洛中の京都人は洛外を馬鹿にする。ましてや東京やそのほかは論外だろう。東京資本の店やホテルは「外資系」と言うらしい。もうひとつ、飲み屋で会った女性の「女も三十を超えるとおしまいだ、いい縁談が来なくなった」と語る話がすごい。
「とうとう山科の男から話があったんや。もう、かんにんしてほしいわ」「山科の何があかんのですか」「そやかて、山科なんか言ったら、東山が西のほうに見えてしまうやないの」
いやはや。著者は反論しようとするがやめる。自分の成育地を聞かれて嵯峨と答えたら、彼女がこう言うのが目に見えたから。「えらい西のほうやん。東山なんかかすんで見えへんのちゃう?どうりで、うちらの悩みなんかわからんはずやわ」。京都弁とあいまって、おもしろ過ぎる。
さて、パリジャンは地方の人を馬鹿にするのか。1区や2区に住む人は、私のように13区に住む外国人なんて、問題外なのか。そんなことをこれから書けたらいいと思う。
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コメント
随分前から毎日楽しみに拝読しております。
東銀座の映画会社に勤めるHMと申します。
昨朝更新されて、もうパリから発信されてるのかと思うと
なんだか不思議な感じがします。
お忙しい毎日でしょうが、お体に気をつけて下さい。
興味深い投稿を楽しみにしております。
投稿: HM | 2016年3月24日 (木) 00時59分