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2016年3月 6日 (日)

『ジョーのあした』に考える

もともとボクシングは好きではない。人間同士があそこまで顔を殴るのは見たくないから。最近の『クリード』のように劇映画ならまだしも、ドキュメンタリーを見たいとは思わなかった。だから『ジョーのあした 辰吉丈一郎との20年』は阪本順治監督であっても、試写で気が乗らなかった。

ところが「朝日」で山根貞男さんが絶賛していたので、劇場に見に行った。試合のシーンはなくてインタビュー中心というので、あまり悲惨な場面はないだろうと思ったこともある。あるいは、ボクサーの老後をテーマにした沢木耕太郎の「朝日」連載小説『春に散る』を毎朝読んでいるからか。

見てみると、試合がないどころではない。試合前や試合後のインタビューもなく、練習風景もほとんどない。対戦相手や家族、友人などへのインタビューもない。何があるかというと、くつろいだ辰吉が阪本監督の質問に答えてぼそぼそと話すだけ。

だけど、これが何ともいい。最初のインタビューは1995年、辰吉が25歳の時。既に2度世界チャンピオンになった後に、網膜剥離でJBCのルールにより国内で試合ができなくなっていた頃。それから14回のインタビューで、最後は2014年で44歳の時。

何が感動的だと言えば、人の顔が老いてゆき、話し方も変わってゆくことだろう。25歳の時は12歳上の監督は「辰吉君」と話しかけるが、途中から「たっちゃん」に変わる。25歳の辰吉は、本当に幼い表情を見せる。ところが44歳と56歳だと年齢の差は関係ない。2人が20年間の撮影を通じて仲良くなったこともあるだろう。

辰吉の方は最初は「監督」と呼んでいるが、途中で「阪ぴー」と言うシーンがある。監督の姿は最初は出てこないが、中盤からは何度か出てくる。8ミリカメラを回していたり、一緒にベンチに座ったり。

26歳の時に世界王者を奪還し、その後はいろいろあるが、結局王者になれない。29歳で引退を宣言して後に撤回。37歳でJBCルールによりライセンスを失効するが、その後もタイで試合をしたりする。

「20年間」といっても、王者だったのは1年くらいで、あとはひたすら王者を奪還するまで練習を続けると言いながら年を取る。子供も大きくなる。辰吉の顔の変貌に、人生の冷酷さと豊かさを感じた。さすがに『どついたるねん』に始まってボクシングの映画を何本か作った阪本順治監督だけあって、文字通り非凡なボクシングのドキュメンタリーとなった。

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