ミア・ハンセン=ラヴの「未来」の抒情に泣く
「アルモリカ組曲」が良かったので、またフランスの女性監督と考えて、ミア・ハンセン=ラヴの新作「未来」」L'avenirを見た。行ったのは自宅から歩いて5分ほどの、「エスキュリアル」L'escurialという1910年にできた映画館。椅子も床も赤で、パノラマのようなスクリーンが何とも古めかしい。
「未来」はこの監督の5本目だが、今回はほとんど「青春」が描かれていない。イザベル・ユペールという大女優を主人公に、インテリ中年女性の日々を描いている。
ユペールが演じるナタリーは高校の哲学教授。同じ職業の夫と、子供2人と暮らしている。目下の問題は認知症の母親(エディト・スコブ)で、何度も救急車を呼んで彼女を困らせている。ある時、夫が女ができたので別れてくれという。そこから新たな展開が始まる。
これまでの映画のように、青春の痛みや時間の残酷さを劇的に見せるわけではない。しかしながら、イザベル・ユペールの存在そのものに、時の重みが見える。彼女が夫と別れるためにブルターニュの別荘に衣服を取りに行く時の、シューベルトの歌曲の鮮烈な抒情性といったら。
あるいは、母の葬儀の後に、パスカルの『エセー』を読むユペールの声にかぶさって、バスの中から見える風景の悲しさといったら。音楽や声が響き、乗物からの移り行く風景が出てくるごとに、強い感情を呼び起こされる。
夫との会話にショウペンハウエルの『意思と表象としての世界』が出てきたり、教え子の本棚にレーモン・アロンがあったり、ユペールがエマニュエル・レヴィナスを読んでいたりといった哲学の話題も楽しい。これほど哲学の本が映画で出てくるのは、めったにないのでは。
あるいはユペールが1人で見る映画はキアロスタミの『トスカーナの贋作』で、ジュリエット・ビノッシュのアップが写る。そこである男に言い寄られて、映画館を出てからも付きまとわれ、路上でいきなりキスをされてこれはひょっとしてと思うが、何もなく過ぎてゆく。こんな日常の何気なさがこの映画に満ちている。
夫と別れるほかは、大したドラマはないし、その別離さえも「ああ、そう」という感じ。それでもいささかがに股で急ぎ足で歩くユペールの姿や表情に、人生の過酷さと悲しみが凝縮されている。それから母役のエディット・スコブにも、女性の「老い」のある形がある。
この映画は今年のベルリンで銀熊(監督)賞を取っているので、日本でももうすぐ公開されるだろう。この監督は、『あの夏の子供たち』(2009)の時にフランス映画祭のトークの聞き手をやったことがある。かつて女優もやったくらい美人だけれど、その時はジーンズを履いて地味な格好で、物静かで知的な印象でいっぺんで魅了された。パリにいる間に一度会いたいと思うけど、無理だろうな。
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