「夢が作られる森」の見せる世界
クレール・シモンというフランスの女性監督の新作ドキュメンタリー「夢が作られる森」Les bois dont les reves sont faitsを見た。アルルカンという6区の古いアート系映画館で今回初めて行ったが、ここもパノラマ式スクリーンでいい感じ。
こちらで新作を見る時は、「カイエ・デュ・シネマ」誌と「ルモンド」紙の批評に、知り合いの口コミをもとにして決めるが、これはどれも好評だったので見た。結果は正解で、何とも興味深いドキュメンタリーだった。
映画はパリのヴァンセンヌの森の一年を写す。森そのものというよりは、そこにやってくる人々が次々に出てくる。体を鍛える男、娼婦の女、ゲイの仲間を探す男、湖で魚を取って一緒に写真を撮って再び水に返す男、カンボジア移民の集まる日曜日、ギニアからの人々の集い、夜中に懐中電灯を点けてカエルの観察をする男。ハトを飼う男、ラグビーをする少年たち、赤ちゃんを連れた若い母親などなど。
彼らは監督であろう中年女性と話し、自分の人生を見せてゆく。いろんな人々が出てきたが、私にはカンボジア移民の男がなぜか父親がカンボジアから帰ってこなかった話が一番印象に残った。もう1人はステファニーという太った若い娼婦の話。
みんなが無防備に自分をさらけ出すのは、話し相手の監督がうまく相手の心をつかんでいるからだろう。ちょっとしゃがれたおばさんの声で、するすると話を引き出してゆく。考えてみたら出てくるのは、社会からはみ出した孤独な人々ばかり。それでも森に来ると、みんな幸せそう。
一つだけ、過去の映像が混じる。哲学者のジル・ドゥルーズが、1980年にパリ第8大学で教えていた時の映像だ。この年まで第8大学はヴァンセンヌにあったが、それからサン・ドゥニに移った。森の映像と、ドゥルーズの姿が二重写しになる。
するとそこに哲学者の娘で映画監督のエミリー・ドゥルーズが現れて、「ここかしら」と大学の跡を探す。「信じられない、何も残っていないんだから」と言いながら。このシーンだけは確実に浮いているけれど、あらゆる権威を否定するドゥルーズの言葉と、森の人々の間にどこか共通点がなくもない。
映画は2時間26分と長いのだけど、とりとめもない話の連続のように見えて、ずっしりと心に残る。これは日本で岩波ホールあたりでやればきっとヒットすると思うのだが。
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