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2016年4月19日 (火)

シネマテーク・ノスタルジア

シネマテーク・フランセーズは、昔から世界の映画ファンにとっての聖地である。1936年にアンリ・ラングロワたちによって設立され、戦後そこに通った若者たちの中からヌーヴェル・ヴァーグの監督たちが生まれたことはよく知られている。かつては長い間、トロカデロのシャイヨー宮にあった。

ベルトルッチもアンゲロプロスもヴェンダースもシューレンドルフも、あるいはジャームッシュもそこに通って映画監督になった(たぶん)。1980年代前半の福岡の大学生の私には、そこで映画を見ること自体が、夢の体験に思えた。

1984年3月に初めてパリに着いた時、その日のうちにシネマテークに行って、トリュフォーの映画を見たのを覚えている。そして7月から正式に留学し、1年間よく通った。その年は500本以上映画を見たが、半分はシネマテークだったと思う。

「まずはシネマテークのリストをチェックし、空いた時間に映画館でやる映画の日程を入れる」。これが当時博士論文を書いていて、今は早大教授のTさんが私に教えてくれたことだった。その当時一番記憶に残っているのは、フリッツ・ラングの全作品上映。今でも授業で上映するたびに、脳裏をよぎる。

その後、1996年にフィルムセンターで開催したジャン・ルノワールの全作品上映などで、シネマテークと直接仕事ができたことは、ある意味で夢の実現だった。その時に尽力してくれたアランさんは、もう亡くなってしまったけれど。

その後も2003年のヴィスコンティ全作品上映で、イタリアになかったプリントを貸してもらったりしたが、次第に関係はなくなった。2008年の「フランス映画の秘宝 シネマテーク・フランセーズのコレクションを中心に」は私が始めた企画だったが、開催時には異動していた。

2005年に、シネマテークはシャイヨー宮からベルシー地区に移った。それ以降もアルモドヴァル展を日本でやろうと交渉に行ったこともあったが、実は映画はそこで一度も見ていなかった。日本でもDVDが溢れ、フランスからも簡単に買うことができるようになった。何より、数日の出張の滞在では映画を見る時間は取れなかった。

それ以上に、ベルシー地区に違和感があった。駅を出るとセーヌ河に張り出した大きな大蔵省の建物があり、セーヌの反対側には巨大な新国立図書館の建物が何本もそびえ立っている。ちょうど月島とか豊洲の感じか。

だから、ベルシーのシネマテークで映画を見るのは今回が初めてだった。今回見たのは、ジャン・ギャバン特集で上映されたジャン・グレミヨン監督の『曳き舟』(1941)とジャック・ベッケルの『現金に気をつけろ』(1954)。また、俳優のピエール・リシャール特集のジャック・ロジエ監督『トルチュ島の遭難者』(1974)。これらについては、後日書く(たぶん)。

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