『追憶の森』に考える
日本でも公開中のガス・ヴァン・サントの新作『追憶の森』を劇場で見た。カンヌ映画祭前の今の時期は、フランスでは公開本数が多い。昨秋のベネチアから今年2月のベルリンに出た作品が多いが、去年のカンヌのものもある。
要は在庫一掃セールという感じ。カンヌが始まってからは、前年のカンヌ出品作は公開しにくい。アルモドバルのような話題の監督は、カンヌのコンペに出る新作「ジュリエッタ」がカンヌの上映直後にフランスで公開される。去年のベネチアや今年のベルリンに出た作品も、カンヌ騒ぎの前に公開したい。
そんなわけで、3月から4月はアート系の映画を中心に毎週20本以上公開されている。だからとても全部は見られない。去年のカンヌのコンペに出たガス・ヴァン・サントの新作が今頃公開されるのはシネマテークの展覧会の時期に合わせたのだろうが、そんな事情もあるのだろう。
「ルモンド」紙の評は、去年のカンヌでこの映画が酷評されたことから始まる。上映後に非難のブーイングで、翌日の新聞の批評も厳しかったという。それから1年後「批判から遠ざかり、落ち着いて新発見ができるかと思う。しかし、その奇跡はなかった。倉庫に1年置いても、月並みなワインは変わらなかった」と始まる。これから批判が続く。
ついでに地下鉄の駅で無料で配っている「20分」20 minuutes では、「昨年のカンヌで酷評された『追憶の森』は、その評価よりも実際はいい」という言葉で始まっている。そして主演のマシュー・マコノヒーのインタビューの言葉を交えながら好意的に書いている。
日本だと「ルモンド」紙のような酷評は、今は載せない。かつて、小津や溝口の生きていた頃はおおいにあったが。広告のみで成り立つ無料紙がやらないのは当然なので、「ルモンド」が批判すること自体はいいことだと思う。だけど日本の新聞は今はやらない。
ところでこの記事が1ページの1/5ほどで小さいのに比べて、レイモン・ドゥパルドンのここでも触れた「住民たち」は筆頭で丸1ページ。明らかにドゥパルドンとしては小品に過ぎないのに、これはないだろう。
まあ、フランスの新聞の悪口を日本語で書いてもしょうがないので、日本でも公開中の『追憶の森』について言うと、この監督らしく、孤独な人間の肖像が丁寧に描かれていたと思う。男女関係でのどうしようもない後悔は、誰にでもある。その過去を振り返りながらの森の中の夢のような放浪は、何ともうまい。
あえて難点といえば、マシュー・マコノヒーの妻との物語が複雑すぎたことと、上映時間が長すぎたことだろう。もちろん渡辺謙の役割がちょっとバカみたいという批判はあるかもしれないが、もし80分くらいのコンパクトな作品ならばもっと良かったのではないか。
カンヌで毎日何本も映画を見て、グルメ評論家のように「これはいい、あれはちょっと」などと言っている評判はあてにならない。ちなみにフランスの公開題は「私たちの思い出」Nos souvenirs。カンヌでは「樹海」と直訳されていたから、そのイメージをぬぐうためにあえて「ありきたりの題名」にしたのだろう。何だか勝手に配給会社の苦渋を感じた。
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