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2016年5月24日 (火)

カンヌが終わって:その(1)

受賞結果はパリのアパートでネットの中継を見ていたが、かなり驚いた。何より、アルモドバルの『ジュリエッタ』(本当は「フリエッタ」だが、配給会社の題)とヴァーホーベンの「エル」という女性映画の傑作2本が無冠で、アサイヤスの「パーソナル・ショッパー」が受賞したから。

もともと映画祭の受賞結果は、いつも番狂わせになる。ジャーナリストたちの星取表とは大きく異なる。それは当たり前で、選んでいるのは監督や脚本家や俳優といった作り手だから。そのうえ、9人の審査員の合議の結果なので、玉虫色にならざるをえない。みんな出身国・地域の映画は押すだろうし。

ケン・ローチの「私、ダニエル・ブレイク」は、2000年以降、それまでの社会の弱者を描く内容から、新しい地点を模索していたケン・ローチが原点に返った作品。現代のグローバリズムとデジタル管理社会の中で落ちこぼれてゆく人々をドキュメンタリーのように克明に描いたもので、これは誰も非難のしようがない。

このパルムドールが典型的に表すように、今回の受賞結果は極めて常識的。ギロディの「垂直のままに」のようなゲイ映画やパク・チャヌクの「アガシ」のようなレズ映画ははずされ、「エル」のような一見強姦を容認するような作品も無視された。

アルモドバルの『ジュリエッタ』にも、ゲイ文化が漂うからダメなのか。ニコラス・ウィンディング・レフンの「ネオン・デモン」の前衛的すぎる映像も、意味がわからない(これは私も一部同意)。

ここに書いたように、ダルデンヌ兄弟の「見知らぬ娘」とジャームッシュの「パターソン」はマンネリ化なので、落ちた。ムンジュウもそうだが、これはやはり途上国ルーマニアの過酷な現実が力を持つ。

途上国と言えば、もちろんメンドーサの「マ・ローザ」はマニラの貧しい人を描いて圧倒的な迫力がある。ブラジルのクレバー・メンドンサ・フィロの「アクアリウス」はストレートな資本主義批判なのでこの審査員なら受賞してもよかったが、主人公が裕福な女性音楽評論家で、「マ・ローザ」のリアリティには屈服か。

ドランの「まさに世界の終わり」(本当は「ほんの世界の終わり」だが、原作戯曲の邦訳がこれ)、アサイヤスの「パーソナル・ショッパー」は、アート的な達成度の高さだろう。このあたりは審査員のデプレシャンやヴァネッサ・パラディが押しそうだし。映画はどちらも単調ではあるが、ジャームッシュのようなちょっと手抜きな感じはない。

ちなみに「ルモンド」紙は、受賞結果をさめた目で批判していた。まあ、そんなものだろう。「ネオン・デモン」「パーソナル・ショッパー」「まさに世界の終わり」の知的退廃3部作については、気が向いたら触れたい。

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