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2016年5月 5日 (木)

パリの変貌:その(2)

30年前と比べて日本料理店と同じように増えたのが、乞食や物乞いや浮浪者たち。昔も「仕事がなく、食べることもできせん」などと紙に書いて子供と路上に座っている女性や、地下鉄で音楽を鳴らしてお金をもらう人はいた。だけど今は30年前の5倍は確実に多い。

かつてなかったのが、銀行やスーパーの前に座る乞食。ATMでお金を下したり、スーパーで買い物をしたりして出てくると、ちょうど目が合うような場所にいる。何となく後ろめたそうな気分の私を見透かして「ムッシュー」と声を掛けてくる。

かつてとの最大の違いは、ほとんどの人が金を与えないことだろう。昔は身なりのいい人は、よく1フラン2フランとか出していた。ところが今ではお金を出している人を見たことがない。あまりにも多すぎてキリがないのだろうか。

それに昔は金がないときちんと訴えたり、音楽を聞かせたりが多かった。ところが今はそんな悠長なことはせず、ただ「お金ちょうだい」。私個人は昔と違って小銭はあるけれど、誰も出さないのにパリに来たばかりの自分がお金を出すのもヘンなので出さない。

そもそも、「いわゆる金持ち」が減った気がする。昔はオペラ座やシャンゼリゼで冬に映画を見ると、毛皮を来た紳士淑女が本当に大勢いた。今はそういう格好自体が流行らない。ブルジョアのくせにボヘミアンで自由な感じの人々を「ボボ」bobo(=bourgeois bohemienブルジョア・ボヘミアンの略)と言い出したのは、2000年頃からか。

要は金がないわけではないのに、高級レストランの代わりに安くてうまいビストロに行き、自転車に乗ったり自然食を買ったりするする連中のこと。パリに「ビオ」bioと呼ばれる自然食専門の店がどんどんできて、普通のスーパーでもワインや野菜に「ビオ」と書かれているのが売れる時代になった。もちろんビオの方が少し高い。

「ボボ」は自分を金持ちに見せないので、乞食に金を出すことはなさそう。見た目もよく見ないと、金持ちかどうかわからない。そのうえ最近はあまり金のない「ボボ」も増えたようだ。文化・芸術が好きでその関係の仕事をしている人が多いが、派手なことを嫌い、自分の身の丈にあった生活をする。

しかし、難民や移民も含めて、貧困層は増大している。そして超お金持を除くと中間富裕層は少なくなっていて、「ボボ」化している。「ボボ」については保守層からの批判も含めていろいろ意見があるようなので、フランス人にいろいろ聞いてから後日きちんと書きたい。

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