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2016年5月21日 (土)

31年ぶりのカンヌ:その(7)

カンヌにはいわゆる常連監督が30名ほど(?)いる。新作を作ればまずコンペに迎えてもらえる監督で、既にここに書いたアルモドバルやケン・ローチ、ブリランテ・メンドーサなどがそうだ。ジム・ジャームッシュ、ダルデンヌ兄弟、クリスチャン・ムンジウもそうだが、彼らの映画にどこかマニエリスム=様式化のようなものを感じたのも事実。

ジャームッシュの「パターソン」Patersonは、ニュージャージー州のパターソン市に住むパターソンという名の若いバス運転手の1週間を描く。彼はローラと同棲していて、気まぐれなローラに勤勉なパターソンは微妙な距離を感じている。

パターソンは、暇さえあると小さなノートに詩を書く。映画ではその詩が画面に現れる。映画は彼がバスから見る風景、彼の詩、朝や夕方のローラとの会話、夜の犬との散歩を淡々と描く。何も起こらないで終わるのかと思ったら、後半でパターソンは日本人(永瀬正敏)と出会う。この出会いがある救いをもたらす。

すべてあくまでジャームッシュ流に、日常を詩的に語る。それは見ていて実に心地よいけれど、どこか自己充足的なものを感じてしまった。

ダルデンヌ兄弟の「見知らぬ娘」La fille inconuは、前作の『サンドラの週末』に似て、困難に陥った女性の格闘を描く。今回は若い女性医師のジェニーの物語。夜に自分の医院に来た黒人女性に玄関を開けなかったら、翌日その死体が発見されて、罪の意識にかられた彼女は真相を追求し始める。

1点突破のシンプルで緊密な構成で、最後まで見る者の心を締め付ける。しかしながら、セリフのシーンが多く理詰めの感じがした。そもそも、失職寸前の女性を追いかけた『サンドラの週末』に比べると、若い女性医師という恵まれた立場にいる主人公に同情しにくかったこともある。

それでも社会の周辺の人々をリアルに追いかけるダルデンヌ兄弟は健在。オリヴィエ・グルメなどの常連俳優が脇を固める。あえていえば、繰り返しのようなマニエリスムを感じたかもしれない。

ルーマニアのクリスチャン・ムンジウの「卒業試験」Bacarauleatは、娘の海外留学を願う49歳の医師ロメオを描く。娘の将来のためには留学しかないと考えていたが、彼女は英国の大学の入学試験に合格。あとは卒業試験を残すだけになったが、その日の朝に何者かに襲われてしまう。

それからロメオのまわりですべてが狂い始める。愛人との仲はうまくいかなくなるうえ、娘にバレる。娘の卒業試験に手を加えるよう依頼したことが露呈する。妻との関係もおかしくなる。パルムドールを取った『4カ月、3週と2日』(2007)に比べると、構成がしっかりしている分、不条理感が少ないかもしない。これまたマニエリスムだろうか。

まあ、カンヌ自体が大いなるマニエリスムではある。

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