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2016年5月10日 (火)

パリの森山大道展に考える

カルチェ財団で6月5日まで開催の森山大道展を見た。行ってみたらこれはそこの1Fのみで、地下ではフェルネル・フランコというコロンビアの写真家の展覧会が同時に開かれていた。この2つを見て考えた。

フェルネル・フランコは1942年生まれで、1938年生まれの森山とほぼ同世代と言えよう。フランコは2006年に亡くなっているが、彼が70年代から90年代までに撮影した写真は、かつての森山の写真と似た雰囲気がある。

フランコが写したのは、20世紀前半に作られて廃墟に近くなった建物、ビリヤード場、海岸の風景など。過ぎ行く時間を記憶に刻み込むような力が溢れている。ときおり、写真のコラージュをしたり、手書きで書き込んだり。自分の思いが自由に表現される。ほとんどが白黒の世界で小さな写真が多い。

対して森山の展覧会は、すべて近作ですべてカラーで特大のパネル状。少女もバーもストリッパーもやくざも雑誌も裸のポスターも、新宿にあるものすべてを貪欲に取り込んで「どうだ、これが東京だ」と見せた感じか。

奥には白黒の4面の映像があり、どんどん入れ替わってゆく。どこからか絶えず新宿のどこかで録音されたさまざまな音が聞こえてくる。

フランコの嘆きのような映像と比べると、森山の写真はいかにも楽しそう。副題に「DAIDO TOKYO」と書かれているように、「おれが、東京だ、文句あるか」と居直ったような気さえする。

9月までやっているのでまだ見に行っていないが、ギメ美術館で始まったアラーキーの展覧会も、どうもそんな感じがする。日本の今のまんまがフランスではクールだとウケる、いいじゃないか、好きにやるぞというような。

カルチェ財団の裏には、自然の草花が溢れるすばらしい庭がある。そこも建築家のジャン・ヌーヴェルの構想だと思うが、そこの椅子に座って、透明なガラスの建物の中に見える森山の派手な写真を見ながらそんなことを考えた。こんなオヤジたちの「居直りクールジャパン」は嫌だなと。

カルチェ財団は、かつてはデヴィッド・リンチや村上隆や北野武の展覧会を見たと思うが、そのスノッブな「ボボ」的雰囲気がどこか肌が合わないのかもしれない。

先日、旧友で古写真のディーラーをしているフィリップ君と会ったら、彼もフランコと森山について、私とほぼ同じことを言ったので、びっくりした。やはりわかる人にはわかる。

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