パリで3ヵ月がたって:その(1)
3月にパリに着いて、今日でちょうど3ヵ月になる。つまり、もう半分が過ぎた。前に書いたように「おっちょこちょい」もたくさんしたし、クレジットカードを2枚も不正使用されるという災難まであった。だけど、今までまでどうにかやってきたという感じ。
カンヌ映画祭だけでなく、ニューヨークやプラハにまで出かけているので、みんなに「忙しいですね」とよく言われる。しかし私のなかでは、「そうでもしないと、とてもやっていけない」感じ。
今まで、これほど1人だけでいたことはない。高校生までは家族と暮らしていたし、毎日学校があった。大学生になって下宿しても、大学には友達がたくさんいた。東京ではなく福岡だったこともあり、学生の多くは大学から歩ける場所に住んでいたので、下宿には友人たちが予告なく訪ねてきた。
4年生の時にパリで1年過ごした時はだいぶ寂しかったが、大学にはほぼ毎日出かけていたし、パリ国際大学都市に住んでいたので、日本人留学生といつも接していた。東大の博士課程在籍者を中心とした彼らとは距離はあったが、それでもよく一緒に食事に行ったり、演劇を見たりした。
前にここで書いたセルジュ君を始めとして、大学でもだんだん友達ができた。そのうちの3人とは、今回も会うくらい。
これまでで一番孤独だったのは、早稲田の大学院に行った時かもしれない。入った時は知り合いは誰もいなかった。そのうえ、先輩方と話すと、修士を終えても誰もロクな仕事にはついていないことがわかった。授業は週3日で、午後からのみ。
その夏休みに、パリの国立映画学校を受けにパリに行ったのは、これまで書いた通り。そして修士が1年たった頃には、政府系機関に就職してしまった。そこで6年半、その後の新聞社で15年半。
会社員は、大学生よりずっとラクだった。会社の名前の名刺があれば、新人でも社会的に存在を認めてくれる。大学院生の不安定感に比べたら、本当に天国だった。毎日朝同じ時間に起きることは、慣れればむしろ楽になる。体が自然に動くから。
大学に移ってもしょせんは月給取りで、授業をして学生と会っていれば時間は過ぎる。同僚とも仲良くなった。そんな時に50代半ばでポンと海外に出て、1人で過ごすというのは、思いのほかにつらかった。
パリの大学や映画学校の先生とはたまに会うが、基本的に行く義務はない。1日中、誰にも会わない日も多い。フランス人の知り合いは親友が4、5人、ある程度は知っている友達が10人強はいるが、そうそう会ってはくれない。だから想像していた以上の孤独のなかにいる。
だから「おっちょこちょい」くらいしないと、退屈してしまうのだ。幸いにしてこの「寂しんぼう病」を理解してくれる日本人がパリに4、5人いるので、時々一緒に食べて飲んで、気分を変えている。そんな調子なので、1人暮らしは半年で十分かなと今は思っている。
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