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2016年6月 5日 (日)

アントニオーニとは何だったのか

ニューヨークの旅行記ばかりでは何なので、またパリで見た映画の話をしたい。自宅近所のレ・ファヴェットというデジタル復元版専門館で、カンヌのパルムドール特集をやっていた。ふと思い立って、ミケランジェロ・アントニオーニが1967年に受賞した『欲望』を見に行った。アントニオーニという監督の評価は難しい。

一番好きなのは『愛と殺意』(1950、原題は「ある愛の記録」)。ミラノで不倫に走る女性を演じるルチア・ボーゼの美しいこと。それから『さすらい』(57)も放浪する男(スティーヴ・コクラン)の姿が忘れがたい。このあたりまでは、人間の孤独と愛を表現する映画だった。

ところが『情事』(60)以降、だんだんわからなくなる。アンナを探していたはずなのに、途中から別の物語になる。この映画の頃から、「愛の不毛」とか「存在の不条理」とか言われだしたのではないか。

30年ほど前に『赤い砂漠』(64)を見て、わからないと思った。モニカ・ヴィッティの顔だけが印象に残った。そして『欲望』では、途中から完全に寝てしまった。

さて今日見るとどうか。デヴィッド・ヘミングス演じるカメラマンの物語だが、冒頭にこの男が工場で働いた後に帰るシーンがあったなんて、全く記憶にない。

彼はファッション写真を撮っているが、どう見ても思いつきにしかみえない。それから公園で抱き合う男女を偶然に撮り、女にフィルムを返すよう頼まれる。女を裸にしたりキスをしたりするが、それだけ。そのフィルムを現像してみると、妙なものが写っていてそれを拡大するとどうももう1人写っている。

公園に戻ると、抱き合っていた男が死んでいた。写真の細部を写真に撮って、確認しようとする。そこにはスターに憧れる娘たち(うち1人はジェーン・バーキン)もやって来る。ところが写真家は彼女たちに関心がある風ではない。

再び公園に行くと何もない。風の音だけが響く。そして、冒頭に出てきた白装束の若者たちと今風に言う「エアテニス」をする。

映画で写真を見せること。写真を写真に撮ること。あらゆる感情を登場人物から取り除くこと。すべてを無目的にし、観客が一切感情移入できないようにすること。そうして「空虚」というものを映画に撮る。

たぶんこの映画のカンヌでのパルムドールは、相当波紋を呼んだのではないか。今回のケン・ローチの『私、ダニエル・ブレイク』のブーイングどころではないだろう。これがパルムドールを取ったのは、やはり時代だろう。ヌーヴェル・ヴァーグ的運動が世界中で起きた後、政治的な若者の反乱が各地で起きつつあった時である。

アントニオーニとは何だったのか。興味は尽きない。

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