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2016年6月 2日 (木)

『旅路の果て』と『捨てられた人々』

古い映画を復元版で見ると、思わぬ発見がある。傑作とされた映画が今見るとそうでなかったり、逆のケースも。最近、ジュリアン・ディヴィヴィエの『旅路の果て』(1939)とフランチェスコ・マゼッリの『捨てられた人々』(54)を見た。

『旅路の果て』は、日本では戦争のために公開されなかった幻の作品だが、フランスでの評価は高い。ルイ・ジョーヴェにミシェル・シモン、ヴィクトル・フランサンという名優が、元俳優のための養老院で過ごすという設定がいかにもおもしろそう。

もちろんこの俳優たちの演技は見ていて素晴らしい。特にいつでも女にもてるサン・クレールを演じるルイ・ジョーヴェは狂気じみていて、最後に精神病院に行くというのがいかにもピッタリ。代役専門のカプリサード役のミシェル・シモンも例によって怪物のような存在を発揮する。

しかしながら、あらすじが面白いのに、ドラマが映像として生き生きしていないのは、『我らの仲間』に近い。潰れそうになった養老院が、モンテカルロで公演中のジョーヴェが救うのならいいが、いきなりパリの新聞がお金を出し合いましたと事務長が報告してもピンと来ない。寄付へのお礼の公演もメリハリが悪い。

これもシャルル・スパークとの共同脚本だが、ディヴィヴィエに関してはどうも彼と組むとあらすじが先に走り、文学的になっているようだ。

フランチェスコ・マゼッリという監督は、日本ではほとんど知られていない。今回の『捨てられた人々』Gli sbandatiは彼の第1回作品で、フランスでも未公開だったという。これが実は、大傑作だった。時代は1943年、アンドレアは、ミラノの裕福な家の息子で、母と共にポー河湖畔の別荘に住む。

友人も2名やってくるが、そこに家をなくした避難民やドイツ兵から追われたパルティザンたちも避難してくる。避難民のなかにルチアがいて、アンドレアは恋仲になる。彼はパルティザンたちを助けようとするが、友人や母に阻まれる。

アンドレアをその後監督になるフランス人のジャン=ピエール・モキーが演じているが、ジェラール・フィリップやアラン・ドロンを思わせるハンサムぶり。彼が愛するルチアはルチア・ボーゼで、この映画では貧しいが野性的な魅力を持つ女性を演じている。

「戦争が終わった」という放送を聞きに広場に集まって見つめあう2人。夜の街で抱き合う2人。そして最後の別れのカットバック。青春の痛みを見事に映像化している。金神的には、ベルトルッチの『革命前夜』(64)、ベロッキオの『ポケットの中の握り拳』(65)、パゾリーニの『テオレマ』(68)などに匹敵する青春映画だと思う。

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