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2016年6月 6日 (月)

27年ぶりのニューヨーク:その(3)

「なぜ、ニューヨークに来たのですか?」と聞かれると困る。単純に久しぶりに街を見てみたかったのが一番。今回のように自由に世界を旅行する機会は、もう2度とないだろうと思った。それに加えて、今まで研究はヨーロッパばかり向いていたので、アメリカでも始めたいと思った。

というわけで、イェール大学やコロンビア大学にも行ってみた。イェール大学は、ニューヨークから電車で約2時間のところにある。ホテルから歩いて15分ほどのグランドセントラル駅から乗るが、初めて行くので下見を兼ねて前日夜に駅構内の有名なオイスター・バーに行った。

生牡蠣はおいしかったが、写真などで見ていたのと違って、ずいぶん大衆食堂風だった。牡蠣の種類が20種類くらいあってわからないので、「おいしいものを10種類1個ずつ」と頼んでも嫌な顔をせず、運んできた時に一つずつ説明してくれた。

それから、駅のインフォーメーションで「イェール大学に行くには?」と聞くと「ニューヘイヴンまで乗って、歩けばいい」とのこと。「午前中は何時に出るか」と聞いたら時間表をくれた。そこで切符販売の窓口で「明日の朝、9時35分発ニューヘイヴン行き1枚」というと、不愛想に「往復?」と聞くから頷くと、切符を出してくれた。

帰って見たら、グランドセントラル=ニューヘイブン間に2回使えると書いてあるだけで、時間は書いていない。当日は30分ほど前に着いて、プラットホームを探した。欧州の駅のようにいくつもホームが並んでいるのではなく、各ホームに行くには穴倉に入ってゆく感じで、左右のホーム以外は見えない。

イェールでは映画・メディア学科のチャールズ・マッサー教授に会って、昼食をともにした。映画前史に「スクリーン・プラクティス」という概念を導入した初期映画研究の大家だが、彼は昔は映画の現場にいてドキュメンタリー映画を作っていたという。

彼とは1995年の映画百年の頃に、フランスのリヨン大学の国際シンポジウムで会っていた。その後、日本におけるリュミエール兄弟の弟子たちの活躍を書いた本を私が日仏両語で編集したので送ったら、書評に取り上げてくれた。彼は、19世紀末にマッキンレー大統領がエジソンと組んで、生まれたばかりの映画をいかに大統領選に使ったかを調べた本をもうすぐ出すらしい。

本当はもっと話したかったが、その日の夕方にコロンビア大学に行く必要があったので、食後に別れて帰りの電車に乗った。グーグルマップで行き方を調べると、グランドセントラルの手前のハーレム駅で降りてバスに乗るのが近そう。ハーレム駅で降りたら、道路で寝ていたり、井戸端会議をしていたりする黒人の群れに圧倒されてしまった。

バスに乗るには、切符を事前に買わねばならず、切符はバス用コインでしか買えず、コインは硬貨がないと買えない(ようだ)。紙幣しかなかったので、近くの店で両替しようとしたが、断られた。結局、タクシーに乗った。

タクシーがコロンビア大学に近づくと、雰囲気が一挙に学生街に変わる。コロンビアで会ったのは、日本文学が専門のポール・アンドラ教授だが、抜群に盛り上がった。これについては後日。

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コメント

ニューヨーク、ちょっといったことがある。
グランドセントラル駅、いろいろ買い物もできてよい。
メトロポリタン美術館はすごい。ただ、いいもの集めたみたいなかんじだがすごい。
タイムズスクエアから少し南にいったとこにある図書館。すきです。ここの閲覧室、よい。
アメリカもよいところはよい。
地下鉄で、土曜日に、ウォールストリートの駅に降りたら、出口がほとんどしまっていて、パニックになったここもあったけど。

投稿: jun | 2016年6月 7日 (火) 00時06分

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