タリンで考える
ヘルシンキから船で1時間半というので、エストニアのタリンに行ってみた。バルト三国は伝統的に興味深い芸術家を出しているし、エストニアといえば、私にとってはまず作曲家のアルヴォー・ペルト。
最近では『クロワッサンで朝食を』のイルマル・ラーグ監督がエストニアだし、去年の東京国際映画祭で上映された『ルクリ』という変わった映画もそうだった。
タリンに着いて船着場から少し歩くと、門があって城壁がある。そこから石畳を歩き始める。そこは旧市街で、中世やルネサンス期を思わせる教会や塔があちこちに立つ。いくつかの大通り(といっても小さい)は、だいたい旧市庁舎に通じている。
スウェーデンやデンマーク、ドイツ、ロシアに千年ほども支配されて、独立したのはほんの四半世紀前の1991年。その割には古い通りや建物が残っている。よく見ると、いくつもの時代に建て替えられて様式が混じっているものが多く、アレクサンダー・ネフスキー教会のように、征服者のロシア人が建てた教会もあるけれど。
石畳みの通りを歩いていると、とにかく団体の観光客が目につく。中国人もいるが、ここあたりだとフランスやイタリアやドイツの下品な団体が多い。よく見ると、可愛らしいように見えるお店はすべてお土産屋さん。レストランもいかにも観光客向けという感じで客寄せまでしている。
もちろん自分もその1人とは言え、何となく嫌な気分になった。グローバル化で世界中に情報が画像と動画付きで流れ、小金持ちたちが集まってくる。
考えてみたら、ベネチアのサンマルコ広場も、フランスのモンサンミシェルも、京都もみんな同じ。古い通りの隙間にお土産屋さんが立ち並び、観光客はそれを喜ぶ。
幸いにして、友人に教えてもらったレストランは安くておいしかった。魚や肉を野菜やハーブと共にソテーした料理が薄味で繊細だった。だから幸福な気分に浸りながらも、どこか落ち着かない。
かつて私は日本は観光で生きるべきだとここに書いたけれど、考えを変えたくなった。「観光」は、どこかかなしい。
そういえば、市庁舎のそばにエリツィンを讃える像が彫ってあった。91年の独立を後押ししたのは、エリツィンだとエストニア語、英語、ロシア語で書かれている。これは知らなかった。
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