パリジャンの日常:その(7)
フランス語は本当は得意でないけれど、やはり32年前と違う今風の言葉には戸惑う。前に書いた「ボボ」もそうだが、これは言葉というより現象。最近気になるのが「ドゥクー」Du coupという表現。最初は「突然に」Tout d'un coupの略かと思った。
ところが聞いていると、どうも違うようだ。伝統的な言い方だと、「その結果として」「それによって」par consequence, de ce faitに近そう。地下鉄に乗って特に若い人の会話を聞くと、まず1分に1度は出てくる。
それが妙に不快に聞こえる。まず、dとcの子音が音として耳障り。そしてcoupという単語自体、「一発かます」donner un coup「一杯やる」boire un coup「うまくやりぬく」reussir un coupのように、あまり品のいいものではないし、どこかマッチョ的。
とにかく昔は使っていなかったと思って検索してみたら、2008年に言語学者がブログに「最近ウィルスのように伝染している下品な言葉」と書いていた。彼女によれば、かつてこの言葉の代わりに使っていた「その結果として」Par consequenceは、ある原因があって、それを相手に理解させたうえで「その結果として」こうなると、相手の理解を求める表現だった。
ところが「ドゥクー」の場合は、脈絡なしに相手に自分の意見を飲み込ませようという傲慢な感じがあるという。だからこれを使うのは極めて不親切で、避けるべきとのこと。
そのブログの意見に賛同するコメントが最近に至るまで何百とあって、これはフランス人にとっても気になる問題だということがわかった。コメントのいくつかは、今や学校の先生までも使っている場合が多いと嘆いていた。
そのコメントの中にはほかによくない表現として、「心配なし」Pas de souciを挙げていたいる人がいた。確かにこれは、何か問題があったり、抗議しようとしたり、改善を求めたりする時の返事によく使われる。「パド・スシ」と発音するが、一瞬「寿司なし」かと思うことがある。
同じように聞こえる言葉にAvec ceci?「アベック・スシ?」がある。これは肉屋さんなどで何かを注文した後に「このほかには?」と聞かれる時の言葉だが、最初に聞いた時は「アベック寿司」にしか聞こえなかった。
話がずれたが、ことほどさように私は大ざっぱにフランス語を理解しているので、大学を卒業する時にフランス語の教師になる道は向いてないと思った。
そういえば、32年前にパリ第7大学で受けていた言語学の授業で、若い女性の先生から「話した瞬間から言葉はすべて正しい」と聞いて納得した。言語学的には「間違った言い方」はない。言語は絶えず変化すると。仏語を教える道を諦めたのは、この先生の言葉の影響もあるかもしれない。
だから「ドゥクー」くらいで、ましてや外国人が嘆いてもしかたがないのだけれど、やはり気になってしょうがない。
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