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2016年7月29日 (金)

「人間は考える管である」に激しく同意

少し前の朝日新聞に福岡伸一さんが連載コラムで、「人間は考える葦」ではなく、「人間は考える管(くだ)」であると書いていたのが、今の私には実におもしろかった。彼は、人間は食物を口から取って、栄養分を吸収して残りを排泄する動物だと書いていた。

なぜこの文章に激しく同意したかというと、外国で1人暮らしをしているから。会社員の頃も大学に移ってからも、「食べる」行為そのものには対して気を払わなかった。

つまり、昼ご飯は時間になれば職場か自宅近くに食べに行くだけ。あるいは友人と食べる。夜は飲みに行くか自宅で食べるか。どの店に行くかは考えるが、食べる行為そのものについてはあまり考えなかった。

ところが外国で1人暮らしをしていると、毎日何を食べるか1人でかなり真剣に考える。朝ご飯にしてから、昨日の硬いパンを食べるか、フレンチ・トースト(当たり前だが、フランスではこうは言わない)にするか、買いに行くか、そのほかにヨーグルトや果物は食べるかなど考える。コンビニはないので、すべて前日から考えていないと、危ない。

昼は主に外で食べ、夜は会食がなければ自宅で作って食べるが、それも簡単にはいかない。まず、日本に比べて昼は高く、まずく、時間がかかる。そのなかで「よりまし」な店を目指して、毎日が探検の日々だ。自炊も、食材は日本とずいぶん違うし(キャベツの硬いこと)、台所用具は揃っていないしで、毎日格闘している。

「考える管」というのは、出す方、つまり排泄も含む。今の部屋は狭いし、日本と違ってそこに1日の半分以上、日によっては1日いるので、排泄行為そのものに向き合う。ああ、今朝はよく出たとか、午前中いっぱい考えている。

排泄はトイレばかりではない。掃除機をかけると、髪や爪や皮膚の乾いたようなもの、食べ物の残りなどが一杯吸い込まれる。部屋にいる時間が長い分、体からいろいろな不要物を部屋に出している。汗もかく。それらが累積してホコリやゴミになる。おならでさえも、何かは部屋に蓄積しているだろう。

食べては出し、食べては出して、「くだ」のように毎日を生きる。そのことを今、一生で一番リアルに感じながら、動物のように生き延びている気がする。床のゴミを見つけては、毎日のように掃除機をかける。窓で絨毯を叩くと、恐ろしいほどの埃が飛ぶ。この多くが排泄物なのか。

昔、福岡伸一さんはどこかで、人の体は3ヵ月で全部入れ替わると書いていた。そうすると、4ヵ月過ごした私はもう完全にフランスで食べたものだけで生きていることになる。日本食はまだ2回しか食べていないので、なおさらだ。それにしては、頭の中は全くフランス人のようにはなっていない。当たり前か。あっそうか、それが彼の言う「動的平衡」か。

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コメント

管ですね。昔から、思っていたのですが。
けつの穴から腸をどんどん引き出していくと、そのうち口が引き込まれて、腸の内部が外側、体表が内側になる。で、日に当てれば、いつもは内側の腸内壁も日の目を見る。たまには表裏を反対にしてみるのもよいのではないか?

投稿: jun | 2016年7月29日 (金) 19時04分

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