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2016年7月27日 (水)

『低開発の記憶』のとんでもなさ

日本だと夏が映画の稼ぎ時だが、フランスは9月の新学期。今は新作は子供向けくらいで、大人向けは旧作のリバイバルが多い。最近は4Kのデジタル復元が盛んなので、リバイバルのほとんどが美しい復元版。最近見たのは、キューバの『低開発の記憶 メモリアス』(1968)。

監督はトマス・グティエレス・アレアで名前は知っていたが、『天国の晩餐』を見ただけ。この作品は調べてみたら、復元版ではないが日本でもDVDが出ていた。

これがかなりとんでもない内容で、おもしろかった。36歳のセルヒオは、両親も妻もマイアミに亡命したが、ハバナに残ることを選び、所有不動産の賃貸で暮らしている。そして通りがかった女優志望の娘エレーナや、ノエミやハンナといった女たちと関係を持ちながら、怠惰な日々を送る。

それだけの話だが、まず主人公の生活の豊かさに驚く。大きな家に1人で住んで、たくさんの本やレコードを持っている。街中もレストランや書店など、同じころの日本に比べても何倍もリッチな感じ。

インテリ風でいつもお洒落。そして女に手を出すが、いつも醒めた目で見ており、女を「低開発」と蔑む。女ばかりかキューバ社会全体を馬鹿にしながらも、その豊かな暮らしから抜け出せず、毎日を何となく過ごしている。

そんなインテリのエッセー的な物語だと思ったら、エレーナが騙されたとセルヒオを訴えるあたりから、喜劇的になる。エレーナの兄や両親の騒ぎぶり。結局セルヒオは裁判には勝つけれど。

最初からセルヒオや別のナレーションが入り、キューバ危機のニュースリールが入り混じり、写真や繰り返しの映像が乱雑に全体を覆う。演出自体も混乱した中で、ハバナという街の豊かさや主人公の退廃的な生活がくっくりと浮かび上がる。

この監督は若い頃にローマの国立映画センターに留学しているが、そこでアントニオーニなどと学んだのだろうか。あるいはこの即興性や情報の挿入はむしろフランスのゴダールに近い気もする。

映画の始めに、マーチン・スコセッシの解説が出てきた。彼が運営するフィルム・ファウンデーションが、ジョージ・ルーカス・ファミリー財団の援助を得て、ボローニャで復元したという。アメリカの大監督たちが68年のキューバの映画を復元するのは、やはり国交が回復したからだろうか。

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