« パリで3ヵ月がたって:その(3) | トップページ | サント・ヴィクトワール山のまわりを巡りながら »

2016年7月12日 (火)

復元版の楽しみ:『男性・女性』と『インシアン』

ゴダールの『男性・女性』(1966)の復元版が公開されたので、見に行った。この映画はたぶん32年前の留学時に見て以来、見ていない。今回久しぶりに見ると、多くの発見があった。

まずこの映画は、既に最近のゴダールに近い。『軽蔑』(1963)や『気狂いピエロ』(65)のようにイタリアや地中海を原色のカラーで描くのではなく、パリの日常を描く。もっと違うのは、これまでのように自分たちの生き方を等身大で描くのではなく、明らかに自分より若い世代を意識していることだ。

ジャン=ピエール・レオ―演じるポールは、無職でベトナム戦争反対を訴えている。ところが彼が好きになるマドレーヌ(シャンタル・ゴヤ)は、歌手志望の能天気な娘。ポールは調査会社に雇われて、現代の若者について調査を始める。

ポールやマドレーヌ、そのほかのナレーションを挟みながら、現代の若者たちがカフェや自宅でいい加減なことを語る。モーツァルトの音楽やシャンタル・ゴヤの歌声やバッハを口笛で演奏するポールの声が入ったり、突然無声になったり。ゴダールらしい鮮やかな編集。

ピストル、インスタント写真、自分の声をレコードにする機械、喘ぎ声が断続的に聞こえる形だけのセックス、マドレーヌのスタジオ録音。いかにも現代的な記号が散りばめられている。ポールは「私たちはマルクスとコカ・コーラの子供たちだ」というが、この2つの距離を示すことが、この映画の目的だったのではないか。

復元版と言えば、フィリピンのリノ・ブロッカ監督の『インシアン』Insiang(1976)を4Kで修復したものの上映が映画館で始まった。日本では福岡市総合図書館が35ミリプリントを所蔵しており、10年ほど前にフィルムセンターで上映したくらいだという。

という情報は東京国際映画祭の石坂君(同級生!)に聞いたが、彼によれば「メンドーサ的なものの原型」というから喜び勇んで見に行った。結果は大当たりで、本当にメンドーサそのもののように、マニラのスラムを大づかみに描く。

違いと言えば、その貧しさが戦後日本のそれに近い雰囲気を持つことだろう。主人公のインシアンを密かに愛するラジオ少年のナンディンなんて、デビュー当時の森進一そっくり(この類似は、既に上野昂志氏が別のブロッカ映画について指摘していた)。

不良のボスでインシアンの母トニヤと関係を持った後にインシアンに迫るダドも、インシアンと相思相愛なのにダドに脅されて諦めるパンチパーマのベボも、いかにも昔日本の田舎にいた感じ。

そして「見る人」としてのインシアンが際立つ。母の情事を見る彼女。ベボとホテルに行って、翌朝に男が逃げたことを見て、それから1人で街を歩く視線の強さ。あるいはインシアンがナンディンと歩く時の切なさ。

いかにも無造作に撮ったように見えて、人間の本質にグイと迫るところは、まさにメンドーサと同じだ。この映画は『雨月物語』と同じく、スコセッシのフィルム・ファウンデーションがボローニャのチネテーカと組んで復元したもの。どうも、スコセッシ=ボローニャ=カンヌという4K復元路線ができているようだ。

|

« パリで3ヵ月がたって:その(3) | トップページ | サント・ヴィクトワール山のまわりを巡りながら »

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/537538/63882649

この記事へのトラックバック一覧です: 復元版の楽しみ:『男性・女性』と『インシアン』:

« パリで3ヵ月がたって:その(3) | トップページ | サント・ヴィクトワール山のまわりを巡りながら »