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2016年7月 5日 (火)

パリで見る『哀しみのベラドンナ』

こちらに来てすぐの頃、"Belladonna"という題の日本のアニメの4K復元版がシネマテークで特別上映されて、友人のステファヌ君がレクチャーをしていた。その派手なポスターを見ていったい何だろうと思っていたが、山本暎一監督の『哀しみのベラドンナ』(1973)という。

有名なのかもしれないが、私はその存在を聞いたこともなかった。ところが2週間前に劇場公開されると、「ルモンド」紙を始めとしてあちこちに絶賛する映画評が出たらしい(旅行中で見ていない)。

そんなわけで、ようやく映画館で見た。一言で言うと、西洋崇拝のお耽美に昭和元禄的なエログロとサイケデリックが加わったやりたい放題のアニメという感じ。1973年といいえば私は小学6年生だが、その頃の時代の空気が音楽も含めてむんむん匂ってくる。

原作はなんとジュール・ミシュレの『魔女』。映画の最初のオリジナルクレジットに小さく仏語でSorciereという言葉も出るが、字幕には出ないし、ミシュレの仏語表記もなかった。

ジャンとジャンヌは結婚するが、その村にはまず王様に新婦を差し出す習慣があった。みんなに凌辱を受けて傷ついたジャンヌは何とかジャンを助けて生きていこうとするが、2人は別れてしまう。そしてジャンヌは魔女になり、王様に対抗する。

一番驚くのはセックスの表現だろう。最初にジャンヌが王様に犯されるシーンから、直接ではないが赤い血の流れる様子や男性器を思わせる形とその運動が様式化されて写る。あるいは女性の大きな乳首を絶えず写し、女性がセックスを楽しむ姿が象徴的に写される。サイケデリックでドラッグの幻影のようでもある。

ある意味では、全編がセックスの隠喩的な表現ではないかとさえ思われる。この映画は『エマニエル夫人』の前年にできたわけだし、1970年代前半は世界的な性解放運動の時代だった。そしてそれが「おフランス」と結びついているという幸せな幻想。だから、終盤にジャンヌ・ダルクのように火あぶりになる。

最後には「それから時がたった」として、フランス革命を描く版画で活躍する女性たちが拡大され、さらにドラクロワの《民衆を率いる自由の女神》がアップで写る。粗い印刷の粒子がいっぱいだけれど。この三色旗を掲げたフランス万歳の終わりには笑ってしまった。

アニメは静止画が多く、巻物のように上下左右に移動して物語が展開する。ときおり墨絵のような表現があったり、水彩画のような画面もある。民衆や悪魔や王様のカリカチュア的な表現は、ジェイムス・アンソールを思わせる。その意味では、かなりハイレベルで前衛的なアニメ。

エレキギターやドラムを使っているが、どこか演歌のような音楽。この年に日本で流行った音楽を調べてみると、ガロの『学生街の喫茶店』やちあきなおみの『喝采』、沢田研二の『危険なふたり』なのだから、ムードはかなり近い。久しぶりにこの時代の日本の空気を吸った気分になった。

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