『舞踏会の手帖』の日々:その(6)
このシリーズは終わりと思っていたが、まだあった。女の話ではない。フランス国立装飾美術学校の教授を長年務めた、ジャン=ピエール・ドゥズーズ(ドゥルーズではない)さんについて書きたい。先日久しぶりに会ったら、「欧州選手権で幸いにしてフランスが負けた」と言ったのが嬉しかった。
10日の日曜日は日本では参院選だったが、フランスでは欧州選手権の決勝だった。もともと6月10日以降のフランスは、ヨーロッパ中からサッカーファンが集まってうるさかった。とりわけ数日前の準決勝でドイツに勝った時は、車のクラクションの音が朝方まで聞こえて、翌日もカフェでサッカーの話ばかり聞こえた。
もし決勝で勝ったら、数日はうるさいだろうなと思ったが、幸いにして負けた。ところがフランス人たちは友人のインテリさえも、それが不満らしい。ところがドゥズーズさんはあっさり「負けてよかった」と言った。
彼に最初に会ったのは、1980年代の終わり頃。当時勤めていた政府系機関のパリ事務所から「仕事ではなく、個人的に会ってくれないか」と連絡があって会った。フランスを中心に映画前史や映画初期の機材やポスターを収集しているコレクターだった。
会ってみると、フランスのエリート校の映像専攻の教授で、極めてジェントルマン。結果としてそのコレクションは西武百貨店を経て、設立準備中の東京都写真美術館に納まった。私ができたばかりの川崎市市民ミュージアムを紹介し、そこの学芸員が西武のY氏を紹介したはず。
その後、映画百年の時のジョルジョ・メリエスのカタログにメリエスのデッサンの画像を貸してもらったし、そのうち映画『シンデレラ』関係は、2000年にシンデレラの展覧会をやった時に実物を貸してもらった。
そんなわけで、パリに行くたびに会ったし、彼らも何度か東京に遊びに来た。私の友人の大学の先生が1年間パリでサバティカルを過ごすのに受け入れ先を探していたところ、彼に話すとすぐに受け入れてくれた。その奥さんも大学の先生で、彼女も受け入れてもらった。
知らなかったが、彼は2000年に60歳で早期退職をした。理由はコンピューターで映像を作るのについていけないと思ったから。このあたりの判断も彼らしい賢明さだ。それからは年金生活を送っていた。今回パリに行くのでメールを送ったが返事がない。
どうしたのかと思って心配したが、最近になってスイスの山の中で隠居しているのでパリに来る機会を探していたと連絡が来た。レストランに行くと、76歳の老人が待っていた。話すと若々しい姿が蘇えったが、遠くから見ると完全に老人だった。
彼の澄み切ったさわやかな表情に、彼のような老人になりたいと思った。無理だろうけど。
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