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2016年7月20日 (水)

『ジュリエッタ』の尽きせぬ魅力

ペドロ・アルモドバルの『ジュリエッタ』をカンヌで見て以来、再び見た。個人的には、ポール・ヴァーホーヴェンの『エル』とこの映画が今年のカンヌのコンペで好きだったが、いずれも無冠に終わった。『エル』の方は既にもう一度パリで見ていた。

『エル』を再見して、まさに驚異的な演技を見せるイザベル・ユペールを始めとしたグロテスクなドラマを堪能した。全員が変人で、どこか性的に歪んでいるさまをユーモアたっぷりに描いた怪作だった。

実はこの映画はフランスでは、フェミニズムの側から「レイプ肯定」と非難されたが、全くその逆で女性の性をおおらかに肯定した映画だと思った。愚かに見えるのは、男性ばかりなのだから。

『ジュリエッタ』もいつか見たいと思っていたら、空いた時間にポンピドゥ・センターそばの映画館でやっていた。2度目に見ると、忘れていた細部が蘇ってきた。

この映画はフランスでの評価はさほど高くなかった。それは、母の娘への愛という中心テーマと関係のない要素が前半に多すぎるというものだった。ところが今回見直してみて、すべてがつながっているのがよくわかった。

娘への愛というテーマの上に、さらに大きく広がっているのが、生きることにおける罪の意識だった。ジュリエッタは失踪した娘のアンティアに理由はわからないが後ろめたさを抱いていた。アンティアの父親のショアンが亡くなったのは、自分の責任という罪の意識もあった。

彼女がショアンと会うきっかけも、実は罪の意識からだった。列車で隣に座った中年男から話しかけられて、無視して別の座席に移ったしばらく後にその男は投身自殺をしていた。そのジュリエッタを慰めてくれたのがショアンだった。

ショアンには昏睡状態の妻がいて、ジュリエッタを愛することに後ろめたさがあった。さらに妻の死後、彫刻家の女性アヴァとも関係があったことがジュリエッタにわかり、それを非難されたショアンは嵐の中を漁に出て、死んでしまう。

ジュリエッタの父親は、病身の妻をほったらかしにてメイドの若い女性と関係を持っていた。ジュリエッタは許せないが、父親は妻の死後にメイドとの間に子供を作った。

そして娘のアンティアも、罪の意識を持つ。そして家族はバラバラになるが、あえてそれを再び結び付けようとするところで映画は終わる。最後に娘から手紙が来て、ジュリエッタが読むところで私は泣いてしまった。

あるいは、夫を亡くしたばかりのジュリエッタがお風呂で気を失い、娘たちに支えられてバスタオルで髪を拭いた後に現れるジュリエッタの老けた姿に心を打たれた。今回のアルモドバルは、本当に傑作だと思う。ところでこの映画で、主人公は何度も「フリエタ」とスペイン語で呼ばれる。邦題は『ジュリエッタ』らしいが、いいのだろうか。

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コメント

私も早くもう一度見たいです。いや、何度でも見たい。ジュリオ・イグレシアスがちゃんとフリオ・イグレシアスとスペイン語読みされてきたわけだから、ジュリエッタも、フリエッタでよいかもしれませんね。

投稿: 石飛徳樹 | 2016年7月20日 (水) 07時59分

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