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2016年7月10日 (日)

イタリア帰国後のストラミジョーリさん

1951年のベネチアで黒澤明の『羅生門』が金獅子賞を取るのに貢献した、ジュリアーナ・ストラミジョーリについてはここに既に触れた。今回ローマに行ったのは、彼女のイタリア帰国後の足跡を辿ることが目的だった。彼女は1965年にイタリアに帰国している。

日本では『無防備都市』や『自転車泥棒』などのイタリアのネオレアリズモ映画を日本に紹介し、『羅生門』をベネチアに送った功労者として知られている。ところが彼女のイタリア帰国後についてはほとんど知られていない。

2012年に彼女を讃える小さな本がイタリアで出版された。教え子を中心に10人ほどのイタリア人が彼女について書いているが、中心となる編著者がテレサ・チャッパローニ・ラ・ロッカ先生だった。ネットで検索してみるとローマ大学日本文学科の先生のようなので、ローマの日本文化会館に連絡してメールアドレスを教えてもらった。

彼女の自宅アパートに行くと、70歳くらいの品のいい女性が立っていた。いかにも外国の日本研究者らしく、日本の箪笥や陶器などが並んでいる。同じく教え子で本にも書いているダニエラ・サドゥンさんも同席してくれた。

ストラミジョーリ先生はローマ大学の教授となったが、イタリアの日本研究のアカデミックな世界からはあまり尊敬されていなかった。彼女が戦前のファシズム時代に第1回国際学友会留学生として日本に留学し、ファシズム礼賛の文章を書いていたことが大きいだろうとのこと。

第2回留学生のフォスコ・マライーニ氏は日本留学中にファシズム政権への協力を拒否したために、名古屋の収容所に入れられた。彼はその後フィレンツェ大学の日本文学科教授になるが、彼が大きな尊敬を浴びて有名になったのは、反ファシズムという経歴も大きいだろうとのこと。

ラ・ロッカ先生は、国際日本文学学会などでストラミジョーリ先生が多くの日本人に囲まれているのを見て、イタリアでの評価とは全く違うと驚いたという。ローマ大学では、戦時中のファシズム時代のことも戦後の映画界での活躍も一切話すことはなかった。実はラ・ロッカ先生の父親は戦時中はファシストで、戦後もムッソリーニはいいところがあったなどと言うこともあったが、ストラミージョリ先生にはそうした発言はなかった。

極めてリベラルで、まじめな学生にはきちんと接し、不真面目だと相手にしなかった。一切に偏見がなく、イデオロギー的な発言がなかった。徒党を組むのを嫌い、教え子を組織しなかった。そんなこともあって、多くの教え子が日本語を教えているが、正式な教授になった者や日本の奨学金をもらった者は少ない。

ストラミジョーリ先生の専門は軍記物で、『将門記』を英語に『平治物語』や『保元物語』をイタリア語に訳している。彼女は父親を若い頃に亡くし、母親に育てられたので、日本の侍の勇敢な姿に憧れたのではないか。それがある時期はファシズム礼賛ともつながったのではないか。

1時間と少しの間に、そんな話を聞いた。ローマに行ってよかった。

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