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2016年8月29日 (月)

テレンス・マリック問題について

実を言うと、最近のテレンス・マリック作品が全くピンと来ない。彼の『ツリー・オブ・ライフ』(2011)を見て、その哲学的思考にしまいに退屈してしまった。その後の『トゥー・ザ・ワンダー』(12)をベネチアで見た時は、いい加減にしろと思った。

もうすぐベネチアが始まるが、彼の新作のドキュメンタリー「時の旅」Voyage of Timeがコンペに出ている。一度彼にしてきちんと考えたいと思って、『天国の日々』(1978)が復元版で上映中なので、見に行った。

この映画は数年後に日本で公開されて話題になった。トリュフォーやロメールのカメラを務めたネストール・アルメンドロスが撮影していることもあり、当時大学生の映画ファンとしては、傑作と言わざるをえなかった。

さてこれを30年後の今見たらどうなるだろうか。結果として言えば、当時ほどは感動しなかった。登場人物たちのドラマ以上に、映像の美しさや視覚効果、そして自然に対する汎神論的な世界観を表すことに力を注いでいるように思えたから。

一番決定的なのは、若きリチャード・ギア演じる主人公のビルと恋人のアビー(ブルック・アダムス)の間にも、アビーと彼女が結婚するチャック(サム・シェパード)の間にも一切性的な場面がないこと。だからビルとアビーが恋人ということさえ、最初はわからない。

まして結婚した2人が結婚式の夜にキスのシーンさえないのはどうだろうか。チャックが騙されたと悟るのも、ビルとアビーが手を取り合っている場面を見てからで、いかにもソフト。明らかに性的なものを捨象している。

その分、自然も昆虫も動物も生々しい。夕暮れ時の農場のシーンからは匂いが沸き立ちそう。なぜイナゴが襲ってきてそれが火事になるのか本当はわからないが、ひたすら美しい。その美のためにこういうシーンを作ったのだろう。

ビルとアビーが夜中に家を抜け出したり、朝焼けの中を帰ってきたりするシーンもドラマより美的な観点から作られている。あるいはイタリア人の道化が乗ってくる飛行機のシーンなんて、まるでファンタジーのようだ。

結局チャックはビルに殺され、ビルは警察に殺される。アビーは何とか生きてゆく。妹の語りも含めて、すべてが一瞬の夢のようだ。その意味では、当時から作りたいものを作っているのだろう。

この監督はこの映画の後に20年も撮らなかったので、当時は神話化されていた。実を言うと『シン・レッド・ライン』(98)を見ていない。これも復元版でやっているが、見るべきか悩んでいる。私にとっては「テレンス・マリック」は問題なのだ。

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