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2016年8月26日 (金)

1952年のカンヌ

1951年9月のベネチアで黒澤明の『羅生門』が金獅子賞を取って以降、日本映画が海外の映画祭で毎年のように賞を取ることになる。実は数ヶ月前のカンヌでも『また逢う日まで』が出品される予定だったが、字幕が間に合わず短編『稲の一生』が出たのみだった。1952年のカンヌは、『羅生門』に続けと各社が競って出そうとした。

そのあたりの事情を、シネマテーク図書館所蔵のカンヌ映画祭の資料で調べている。わかったのは、52年の日本の出品は混乱を極めたということだ。

当時の映画祭の規約では、年間40本未満の製作本数の国は1本、40本以上製作する国は3本出品できると書かれている。日本は当然3本出せるが、結果として出品されたのは、大映・吉村公三郎監督の『源氏物語』と松竹・中村登監督の『波』。

その年は4月23日から5月10日まで開催されているが、上映は1日にマチネ(15時)とソワレ(21時)のみ。午前中に記者会見があったり、昼の12時と夜中の24時から各国主催のパーティが開かれている。何とも優雅な時代である。

日本は映連が窓口だが、どうも連絡が遅い。その分、フランス映画輸出協会(SEF)東京支部のH・ベルナール氏が代わりに動いている。彼からフランスの映連本部に届いた1月11日付の手紙には「今のところ、『源氏物語』『麦秋』『カルメン故郷に帰る』『めし』が出る予定です」と書かれている!

なぜ、小津や木下や成瀬の傑作が途中で落ちたのか。これを説明する文書はこちらの資料にはない。その後同じベルナール氏の本部宛2月28日の手紙でなぜか『源氏物語』と『波』になっている。ところが同じベルナール氏からの3月25日のカンヌ映画祭宛の手紙には、東映が佐伯清監督の『嵐の中の母』を入れたがっていると書かれている。東映が映連を飛ばして連絡したようだ。

カンヌ映画祭は、ベルナール氏に『嵐の中の母』を認める由の手紙を4月3日に送る。その一方で、映連は2月28日付のカンヌ映画祭宛の手紙で東宝の谷口千吉監督『霧笛』を足したいと手紙を送っている。カンヌは了承するが、結局『霧笛』は仏語字幕が間に合わず、4月5日付で映連はカンヌに『霧笛』を取り下げる由の手紙を送る。

いつの間にか『嵐の中の母』は外されるが、それに対する抗議の署名運動が何と映画史家のジョルジュ・サドゥールを始めとする映画評論家の間で広がる。24名の署名が寄せられているが、サドゥールの手書きの手紙によれば、「既に公表されたリストに入っていた『嵐の中の母』は、あらすじを読み限り極めて興味深いので見たかった」「ジャーナリストだけにでも見せてくれないか」

こんな混乱の中で、『源氏物語』と『波』が出品された。そして『源氏物語』は撮影・造形構成賞(これが正確な賞の名)をもらう。審査の議事録を読むと、審査員16人全員が賛成している。

それにしても、どうして『麦秋』や『めし』が途中で落ちてしまったのか。小津と成瀬は死後に国際的な評価を得たが、もしこの2本が52年に出ていたら、映画史は大きく変わっていただろう。

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